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デミャンスク包囲戦(もしくは短く、)とは、第二次世界大戦中、独ソ戦、レニングラード近郊のデミャンスク〔学研系の文献(『歴史群像アーカイブ 独ソ戦』『詳細独ソ戦全史』ではデミヤンスクと表記されているが、ここではロシア語発音にしたがってデミャンスクとする。(*NC違反)〕周辺においてドイツ国防軍がソビエト赤軍に包囲された戦いのことである。1942年2月8日から4月21日まで包囲戦は続き、同時に、南方100Kmのホルムにおいても小さな包囲戦が行われていた(ホルムの戦い)。これらはモスクワの戦いにおけるドイツ軍の敗北に続く、ドイツ軍の退却の結果であった。 == 包囲 == 包囲戦はソビエト赤軍によるデミャンスク攻勢作戦として開始され、1942年1月7日から5月20日に行われた攻勢作戦の第一段階は、北西戦線(司令官パーヴェル・クロチキン)が中心となって行われた。この作戦の目的はデミャンスク周囲のドイツ軍を分断し、ドイツ第16軍の連絡線にあたるスタラヤ・ルーサ鉄道を断つことであった。しかし、森林地帯や湿地帯が多い地形であった上に大雪、そしてドイツ軍による激しい反撃のために、ソビエト北西戦線の進撃は最初は遅々としたものであった。 1942年1月8日、新たにルジェフ-ヴャジマ攻略攻撃作戦が開始、さらに前回の作戦を含んだ1942年1月9日から1942年2月6日まで行われたトロペツ-ホルム攻略作戦も開始し、南側での攻撃を担当、さらに第二次デミャンスク攻略作戦が北側の攻撃を担当として、1942年1月7日から1942年5月20日まで行われ、これらはドイツ第16軍(司令官エルンスト・ブッシュ)所属の第II軍団、そして第X軍団(司令官クリスチャン・ハンセン)の一部を1941年-42年の冬をかけて包囲した。 この時、ドイツ軍、第12、第30、第32、第123、第290歩兵師団、第3SS装甲師団トーテンコプフらが包囲された。そして同時に、国家労働奉仕団、秩序警察、トート機関などの補助部隊も包囲の中にあり、全体でドイツ軍将兵90,000名と補助部隊10,000名が包囲された。これらの指揮を執ったのは第II軍団司令官、ヴァルター・フォン・ブロックドルフ=アーレフェルト歩兵大将であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デミャンスク包囲戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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