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デュティーユ : ミニ英和和英辞書
デュティーユ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デュティーユ ( リダイレクト:アンリ・デュティユー ) : ウィキペディア日本語版
アンリ・デュティユー[ちょうおん]

アンリ・デュティユーHenri Dutilleux, 1916年1月22日 - 2013年5月22日)は、フランス作曲家フランス6人組よりも、やや若い世代で、20世紀後半から現代にかけてのフランスを代表する作曲家の一人。姓はデュティーユと表記されることも多い。
== 生涯 ==

* フランス西部、ペイ・ド・ラ・ロワールアンジェに生まれる。1933年から1938年までパリ音楽院に学び、ジャン・ギャロンノエル・ギャロンフィリップ・ゴーベールアンリ・ビュッセルモーリス・エマニュエルに師事した。
* 1938年、カンタータ「王の指輪」でローマ賞を受賞した。しかし戦争のためわずか数ヶ月でパリへ戻ることとなった。
* 1943年から1963年まで、ラジオ放送のための作曲を仕事としていた。
* 1946年にピアニストのジュヌヴィエーヴ・ジョワ:w:Geneviève Joy1919年-2009年)と結婚。
* 1961年から、エコールノルマル音楽院で教鞭を執り、1970年、パリ音楽院に客員教授として招かれた。
* 1994年、第6回高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門を受賞。
父方の曽祖父は画家のコンスタン・デュティユーで、ドラクロワの親友であり、コローのコレクターでもあった。コローの作品やバルビゾン派から影響を受けたフォンテーヌブローの森を主題とした風景画などの作品がある。アンリ・デュティユーは1999年、この曽祖父の作品および彼によるドラクロワのコレクションや手紙類を、ルーヴル美術館およびフランス国立図書館に寄付している。
母方の祖父も作曲家でジュリアン・コズルといい、ストラスブール音楽院の教授を務め、ガブリエル・フォーレと親交があり、またアルベール・ルーセルの教師でもあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンリ・デュティユー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Henri Dutilleux 」があります。




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