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デラウェア・アンド・ハドソン鉄道(デラウェア・アンド・ハドソンてつどう、、報告記号はDH)は、かつてアメリカ合衆国北東部で営業していた鉄道会社である。 1991年にカナダ太平洋鉄道(カナディアン・パシフィック鉄道)の子会社となったが、カナダ太平洋鉄道自身が全ての運行を担っており、デラウェア・アンド・ハドソン鉄道自身は機関車や車両を1両も維持していない。 かつてはニューヨークとカナダのケベック州モントリオールを結ぶ重要な連絡線であった。会社は当初「デラウェア・アンド・ハドソン運河会社」(Delaware and Hudson Canal Company)として発足し、ハドソン川に面したニューヨーク州キングストンから南西へ、デラウェア川に面したニューヨーク州ポート・ジャービス(Port Jervis)へ、さらにペンシルベニア州カーボンデール(Carbondale)にある無煙炭の炭田までを結ぶ運河を建設した。この運河会社が後に、アメリカ合衆国でも最初期の鉄道であるデラウェア・アンド・ハドソン・カンパニーとなり、さらに1968年まではデラウェア・アンド・ハドソン鉄道(Delaware and Hudson Railroad)となった。 デラウェア・アンド・ハドソン鉄道は自身を「アメリカで最も古くから継続して営業している運輸企業」と呼んでいた。 == デラウェア・アンド・ハドソン運河 == 1820年代前半、ペンシルベニア州北東部のあまり人口が密でない地域を探検したフィラデルフィアの商人ウィリアム・ワーツ(William Wurts)は、埋蔵されている膨大な量の無煙炭の価値に気づいた。彼は、それまで依存していたイギリスの瀝青炭が輸入制限を受けて影響を被っていたニューヨークへ、石炭の輸送を容易にするための運河を建設するという考えに、彼の兄弟を引き込んだ。 「デラウェア・アンド・ハドソン運河会社」は、1823年にニューヨーク州とペンシルベニア州のそれぞれで法律によって認可され、ウィリアム・ワーツとその兄弟であるモーリス(Maurice)にデラウェア・アンド・ハドソン運河の建設が許可された。1825年1月、ウォール街の喫茶店で実施された無煙炭による暖房のデモンストレーションを受けて、公募増資に100万ドルが集まり、時価総額が100万ドルに達した初めてのアメリカ企業となった。 1825年7月13日に着工され、1828年10月に営業を開始した。ニューヨーク州キングストン(ハドソン川にクリークが注ぐ地点)とローズンデール(Rosendale)の間の、クリークロックス(Creeklocks)と呼ばれる場所にあるロンダウト・クリーク(Rondout Creek)に運河は始まる。そこから南西へロンダウト・クリークに沿ってエレンビル(Ellenville)まで進み、サンドバーグ・クリーク(Sandburg Creek)、ホモワック・キル(Homowack Kill)、バッシャー・キル(Basher Kill)、ネバーシンク川(Neversink River)と続いてデラウェア川のポート・ジャービスへと通じる。そこからデラウェア川のニューヨーク州側を北西へ進み、ラカワクセン(Lackawaxen)にあるローブリングス・デラウェア水路(Roebling's Delaware Aqueduct)でペンシルベニア州に入り、ラカワクセン川(Lackawaxen River)の北側の岸に沿ってホーンズデール(Honesdale)へと至る。 カーボンデールそばのムーシック山(Moosic Mountains)にある、ワーツの鉱山から無煙炭をホーンズデールの運河まで輸送するため、会社は重力式の鉄道を敷設した。ペンシルベニア州はその建設を1826年4月8日に認可した。1829年8月8日、デラウェア・アンド・ハドソン運河会社最初の機関車である、スタウアブリッジ・ライオンが、アメリカで最初にレールの上を走った機関車としての歴史を刻んだ。西方への鉄道の拡張は、アーチボールド(Archbald)にある新しい鉱山へ1843年に、バレー・ジャンクション(Valley Junction)へ1858年に、プロビデンス(Providence)へ1860年に、そしてスクラントンへ1863年に開業した。カーボンデールより西での旅客輸送は1860年に開始されている。 運河は、初期には成功したビジネスであったが、会社の経営陣は鉄道が運輸業の未来であることに気づき、鉄道敷設へ投資を始めた。1898年に運河で最後の石炭が輸送され、その後水が抜かれて売却された。翌年には会社の名前から「運河」という単語が消された。残存している運河の断片は、1968年に国立史跡(National Historic Landmark)に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デラウェア・アンド・ハドソン鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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