|
デリック・ラモン・ホワイト(Derrick Ramon White, 1969年12月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州マリン郡サンラフェル出身の元プロ野球選手(外野手)。 阪神タイガースに在籍した2002年には、風貌などがマイク・タイソンに似ていることから、「トラのタイソン」というニックネームを付けられていた。からは、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部スカウト&ディベロップメント部副部長(駐米スカウト)を務める。 == 来歴・人物 == 1991年のMLBドラフト6巡目でモントリオール・エクスポズに指名されて契約。7月22日の対サンディエゴ・パドレス戦(ジャック・マーフィー・スタジアム)で7番・一塁手で先発出場をしてメジャーデビュー。その後、タイガースやシカゴ・カブス、コロラド・ロッキーズなどを渡り歩き、は韓国野球委員会(KBO)のロッテ・ジャイアンツで、はメキシカンリーグにてプレー。 2002年、阪神タイガースの春季キャンプで入団テストを受け、合格し入団。ダウンスイングからの低い弾道のライナー性の打球が特徴で、入団当初は高い打率から4番打者としても起用された。ハッスルプレーが売りで、ダイビングキャッチも果敢に行った。 「チームのためならバケツ運びでもする」とまで言ったが、手首痛に悩まされ成績を残すことができずに1年で退団となった。当時コーチだった田淵幸一は「もう(あいつに)直接教える事はない。後は本人次第で頑張ってもらうだけだから」と「戦力外」の烙印を押した(ただし、ホワイトが骨折が判明したにも関わらず、ベンチに入って声を出す姿には田淵も感動し、著書の中でも褒め称えている)。 にはメキシカンリーグのティファナでプレー。打率.407 本塁打19 打点73の成績で首位打者になったが、やがて現役を引退した。 2月1日、東北楽天ゴールデンイーグルスの駐米スカウトに就任。阪神時代の一軍監督でもある星野仙一が楽天の一軍監督、田淵が一軍のコーチに就任した以降は、アメリカ球界での幅広い人脈を足掛かりに、アンドリュー・ジョーンズ、ケーシー・マギー、ケビン・ユーキリスといった大物メジャーリーガーの獲得を相次いで実現させた。1月1日付で、楽天のチーム統括本部スカウト&ディベロップメント部副部長に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デリック・ホワイト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|