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グリュックスブルク家(, )は、現在のデンマークとノルウェーの王家である。一族からはギリシャの国王も出ている。 == 概史 == グリュックスブルク家はオルデンブルク家(オレンボー家)の流れを汲む。デンマーク王フレゼリク2世の弟ゾンダーブルク(セナーボー)公ヨハン(ハンス)に始まるゾンダーブルク家(セナーボー家)の支流の一つにあたる。ヨハンの七男フィリップが遺領分割により(現在のドイツ連邦共和国シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州シュレースヴィヒ=フレンスブルク郡)を相続したことにより創始された()。1779年、フィリップの玄孫の死によって古グリュックスブルク家は断絶した。 フィリップの甥にあたるベック公が現在まで続く新グリュックスブルク家の直接の祖〔 アウグスト・フィリップの兄アウグステンブルク公はオルデンブルク家のもう一つの有力な分家アウグステンブルク家の祖となった。〕であるが、グリュックスブルクを家名に加えたのはグリュックスブルク公位を得たフリードリヒ・ヴィルヘルムの代からである。フリードリヒ・ヴィルヘルムは、フレゼリク6世の王妃マリーの妹であるルイーゼ・カロリーネと結婚した。孫のフリードリヒ・フェルディナントの代に、アウグステンブルク家の断絶によりシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公の儀礼称号も得た。両公国における称号は、1864年のデンマーク戦争によってプロイセン王国に併合されたため、プロイセン貴族としての称号であった。 フリードリヒ・ヴィルヘルムの四男クリスティアンはクリスチャン8世の姪ルイーゼと結婚していたことから、1863年にフレゼリク7世の死によってデンマーク王家のオレンボー家が断絶するとデンマーク王位を継承した(クリスチャン9世)。クリスチャン9世は短期間ながらシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国も継承した。この家系も現在までデンマーク王家として続いている。 ギリシャの初代国王はバイエルン王家出身のオソン1世であったが、クーデターによって廃位され、代わって1863年にクリスチャン9世の次男であるヴィルヘルムが国王に迎えられ、父の即位に先立ってギリシャ王位に就いた(ゲオルギオス1世)。 ノルウェーが1905年にスウェーデンとの同君連合を解消して独立した際には、スウェーデン王家のベルナドッテ家がノルウェーの王位継承権を放棄したため、クリスチャン9世の孫の一人カールが国王に迎えられ、ホーコン7世として即位した。この家系も現在までノルウェー王家として続いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グリュックスブルク家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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