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デヴィッド・ナルバンディアン : ミニ英和和英辞書
デヴィッド・ナルバンディアン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


デヴィッド・ナルバンディアン ( リダイレクト:ダビド・ナルバンディアン ) : ウィキペディア日本語版
ダビド・ナルバンディアン

ダビド・ナルバンディアンDavid Nalbandian, 1982年1月1日 - )は、アルゼンチンコルドバ出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは3位。ATPツアーでシングルス11勝を挙げた。身長180cm、体重79kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
アルゼンチン選手初の2002年ウィンブルドン男子シングルス準優勝者。2005年最終戦テニス・マスターズ・カップ優勝者。マスターズ1000優勝2回。
アルゼンチンの選手として初めて4大大会すべてのベスト4に進出した選手である。
== 選手経歴 ==
5歳からテニスを始める。ナルバンディアンの自宅には、アルメニア人の祖父が作ったセメントのテニス・コートがあり、家族ぐるみでテニスに親しみながら育った。ジュニア時代には1998年全米オープン男子ジュニア部門で優勝があり、決勝で同年度のウィンブルドン男子ジュニア部門優勝者ロジャー・フェデラーを 6-3, 7-5 で破った。2000年に18歳でプロ転向。2002年ウィンブルドンで、大会初出場の第28シードながら初の決勝進出を果たす。そこで第1シードのレイトン・ヒューイットに 1-6, 3-6, 2-6 のストレートで完敗したが、ウィンブルドン初出場選手の決勝進出は1968年のオープン化(プロ選手解禁措置)以後では初の快挙であった。
その後もナルバンディアンは順調に成績を伸ばした。2003年全米オープンでベスト4に入り、準決勝で地元アメリカアンディ・ロディックに 7-6, 6-3, 6-7, 1-6, 3-6 で逆転負けした。2004年には全仏オープンでも準決勝進出を果たすが、同じアルゼンチンガストン・ガウディオに 3-6, 6-7, 0-6 のストレートで完敗した。2006年全豪オープンで、ナルバンディアンはすべての4大大会でベスト4進出の里程標に到達したが、準決勝でキプロスの20歳マルコス・バグダティスに 6-3, 7-5, 3-6, 4-6, 4-6 の逆転で敗れてしまう。同年に全仏オープンでも2年ぶり2度目の準決勝に進出したが、ロジャー・フェデラーとの対戦中に 6-3, 4-6, 2-5 (第3セットの途中)で棄権した。2003年の全米オープンと2006年の全豪オープンでは、2セット・アップ(先に自分が2セットを取った状態)から相手に3セットを奪い返されての逆転負けになっている。
ナルバンディアンはジュニア時代からロジャー・フェデラーに相性が良く、前述した1998年全米オープン男子ジュニア部門決勝の後、プロ選手になってからも初対戦からナルバンディアンが5連勝した。
2005年の男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」決勝で、ナルバンディアンはフェデラーを 6-7, 6-7, 6-2, 6-1, 7-6 の逆転で破り、アルゼンチンの男子テニス選手として初の同大会優勝を果たした。フェデラー2003年10月から続けてきた、男子テニスツアー大会での決勝戦の連勝記録が「24」で止まった。
2006年アルゼンチンは男子テニス国別対抗戦・デビスカップ1981年以来25年ぶり2度目の「ワールドグループ」決勝に進み、12月1日-3日の決勝でロシアと対戦した。相手チームの本拠地であるロシアモスクワの「オリンピックスタジアム」で行われた決勝戦で、アルゼンチンはロシアに「2勝3敗」で敗れて準優勝になったが、ナルバンディアンがシングルス2試合でマラト・サフィンニコライ・ダビデンコの両選手に勝った。
2007年マドリード・オープンロジャー・フェデラーを破りマスターズ初優勝。パリ・マスターズではラファエル・ナダルを破りマスターズ2勝目。
2012年6月17日にロンドンで行われたエイゴン選手権の決勝で、マリン・チリッチ(クロアチア)を相手に 7-6, 3-4 としていたが、第2セットの第7ゲームをブレークされて激高。直後に線審の足元にある広告看板を蹴りあげ、割れた板が線審のすねを直撃して流血した。治療が必要になったため主審に失格を宣告されるという前代未聞の暴力行為で失格となった。罰金1万ドルが科せられ、賞金は没収された。この行為で2年ぶりのツアー優勝は消滅した。
ナルバンディアンは2013年4月のデビスカップ準々決勝のフランス戦でダブルスに出場したのが最後の公式試合になり、2013年10月に現役引退を発表した。
ナルバンディアンはモータースポーツにも造詣が深く、特に大のラリー好きとして知られる。彼は2007年9月から、プロダクションカー世界ラリー選手権(通称PWRC、世界ラリー選手権の下位カテゴリ)に参戦する“Tango Rally Team”(タンゴ・ラリー・チーム)のオーナーになり、同じアルゼンチン出身のマルコス・リガトがドライバーを務めている。
2006年のウィンブルドン選手権3回戦では、「2006 FIFAワールドカップの準々決勝ドイツ対アルゼンチンの試合が見たいから」という理由で試合開始時間が変更された逸話がある。しかし、本人は3回戦敗退、母国アルゼンチンも準々決勝で敗退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダビド・ナルバンディアン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 David Nalbandian 」があります。




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