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デヴォンシャー・ハウス : ミニ英和和英辞書
デヴォンシャー・ハウス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デヴォンシャー・ハウス ( リダイレクト:デヴォンシャーハウス ) : ウィキペディア日本語版
デヴォンシャーハウス[ちょうおん]

デヴォンシャーハウス (Devonshire House) はイギリスロンドンピカデリー通りにある18世紀及び19世紀にデヴォンシャー公爵の邸宅として使われていた建物である。この建物は第3代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャベンディッシュ (William Cavendish, 3rd Duke of Devonshire、1698年-1755年) (英語版)ウィリアム・ケント (William Kent、1685年-1748年) の設計によりパラディオ様式で建てたもので、1740年頃完成し第一次世界大戦で被災して1924年に取り壊された。
イギリスの多くの有名な貴族達は自分の名前を冠したロンドンの邸宅を持っていた。唯一ヨーロッパ本土に宮殿と呼ばれるような邸宅を持っていた公爵家の建物としてデヴォンシャーハウスは、バーリントンハウス (Burlington House) 、モンタギューハウス (Montagu House) (英語版) 、ランズダウンハウス (Lansdowne House) (英語版) 、ロンドンデリーハウス (Londonderry House) (英語版) 、ノーサンバーランドハウス (Northumberland House) (英語版) 、ノーフォークハウス (Norfolk House) (英語版) 等と並び称される最大かつ壮大な邸宅の一つであった。これらの建物はバーリントンハウスとランズダウンハウスを除いてすべて取り壊されており、この二つも実質的に建て替えられている。
現在この邸宅があった敷地には、デヴォンシャーハウスと呼ばれるオフィスビルが建っている。
== 敷地 ==

デヴォンシャーハウスはバークレーハウスの敷地内に建てられたが、これはジョン・バークレー、初代バークレー・オブ・ストラットン男爵 (John Berkeley, 1st Baron Berkeley of Stratton、1602年-1678年) (英語版) が彼のアイルランド副王領 (viceroyalty) での任期終了後、30,000ポンドを超える予算で1665年から1673年にかけて建てたものであった。バークレーハウスにはその後チャールズ2世 (Charles II、1630年-1685年) のミストレス () だったバーバラ・パーマー (Barbara Palmer、1641年-1709年) が住むようになった。
ヒュー・メイ (Hugh May、1621年-1684年、イギリス建築家) (英語版) によって建てられたこの古風な邸宅は、1696年にウィリアム・キャヴェンディッシュ、初代デヴォンシャー公爵 (William Cavendish, 1st Duke of Devonshire、1640年-1707年) によって購入され、デヴォンシャーハウスと改名された。購入契約の一つとしてバークレー男爵 (第2代バークレー・オブ・ストラットン男爵) は、邸宅のすぐ裏にある彼が保有している土地には建物を建てないことを承諾し、これにより公爵邸からの見晴らしは確保された。この契約はバークレーの土地が開発された1730年以降も継続し、バークレー広場 (Berkeley Square) (英語版) の庭園の開発は未完成のまま終了した〔''Berkeley Square, North Side'' in Survey of London: Volume 40, the Grosvenor Estate in Mayfair, Part 2 (The Buildings), ed. F H W Sheppard (London: London County Council, 1980), 64-67 201年1月5日閲覧〕。
1733年10月16日、改修を続けていた旧バークレーハウスは火災にあい、ウィレム・ヴァン・ケッペル 、第2代アルベマール伯爵 (Willem van Keppel, 2nd Earl of Albemarle、1702年-1754年) (英語版) 率いる警護隊や、フレデリック・ルイス王太子 (Frederick Louis, Prince of Wales、1707年-1751年) 率いる人々による消火活動にもかかわらず全焼した。原因は労働者の不注意であった〔London Online; Berkeley House and Devonshire House ; Sykes, Christopher Simon. ''Private Palaces: Life in the Great London Houses'', p. 98, Chatto & Windus, 1985 2016年1月5日閲覧〕。皮肉なことにブルームスベリー、ボズウェル通りにあった公爵が以前住んでいた邸宅、旧デヴォンシャーハウス (Old Devonshire House) (英語版) は、第二次世界大戦ロンドン大空襲まで残っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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