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ドーヴィル(''Deauville'' )はイタリアの自動車メーカー・デ・トマソが1970年から1985年まで生産した高級車である。 車名はフランスのリゾート地「ドーヴィル」にちなんで命名された。 == 概要 == 1970年のトリノ自動車ショーでデビューしたデ・トマソ初のフロントエンジン車であり、イタリアのスーパーカーメーカーが生産する4ドアセダンとしては前年に生産中止となっていたマセラティ・クアトロポルテI、イソ・リヴォルタ・フィディアに次ぐ登場であった。同年にデビューしたミッドシップ2座スポーツカー・パンテーラと同じ米国フォード製の「クリーブランド351」型5,763cc(351cu-in)330馬力エンジンを用いて、最高速度は230km/hと公表された。 パンテーラを手がけたカロッツェリア・ギアのチーフスタイリスト、トム・ジャーダが手がけたボディスタイルやダッシュボードなどのデザイン、そして後輪サスペンション形式など、全体的に1968年に発売されたジャガー・XJ(シリーズ1)に酷似していた。そのためか、パンテーラのように北米フォード販売網を利用した輸出も行われず、欧州域内向けの少数生産車として売られ、日本にも輸入されなかった。 エンジンはアメリカンV8であるが、四輪独立サスペンション、全輪ベンチレーテッドディスクブレーキ(後輪はインボード式)などの高度なシャシーを持つ点は他のデ・トマソ車同様である。このフロントエンジンシャシーは1972年に登場する2+2座2ドアクーペ、デ・トマソ・ロンシャンにも応用される。 1976年以降は、アレハンドロ・デ・トマソがマセラティを傘下に収めたため、同じシャシーをベースにマセラティ自製のV8エンジン、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインによるボディを持つマセラティ・クアトロポルテIIIが生産されることになり、もともと少なかったドーヴィルは受注生産の扱いとなり、毎年ごく僅かしか作られなくなった。1985年まで15年にわたって生産が行われたものの、総生産台数は244台、月産平均で2台に満たなかった。生産時期によってシリーズ1(1974年まで、シャシーナンバー1000-1200番台)、シリーズ1後期(1974年から77年まで、1400番台)、そしてシリーズ2(1978年以降85年まで、2000-2100番台)に分類される。 スペシャルモデルとしては、アレハンドロ・デ・トマソ夫人のためにステーションワゴン仕様が1台、ベルギー王室とイタリア政府のためにそれぞれ1台ずつ防弾仕様が製造されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デ・トマソ・ドーヴィル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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