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デーケン : ミニ英和和英辞書
デーケン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デーケン ( リダイレクト:アルフォンス・デーケン ) : ウィキペディア日本語版
アルフォンス・デーケン[ちょうおん]
アルフォンス・デーケン:Alfons Deeken, 1932年 - )は、ドイツオルデンブルク生まれのイエズス会司祭哲学者上智大学名誉教授。専門は、死生学
== 経歴 ==
八人兄弟の三番目に生まれ、父は実業家。学校では成績優秀なため、校長にナチの指導者養成学校に推薦された。しかし、一家で反ナチス運動をしていたため推薦を断った。戦争中に日本二十六聖人の1人、ルドビコ茨木の伝記に出会い、日本での活動を願うようになった。
ドイツの降伏時に祖父を眼前で連合軍の兵士に射殺された。
1952年イエズス会に入会。1965年には司祭に叙階される。
1959年に来日。長く上智大学で教鞭を取り文学部人間学研究室で「死の哲学」、「人間学」、「生と死の教育」の講座を持つ。死生学においては、日本の代表的な学者であり、その開祖であるが、来日当初は日本における死のタブー感から、大学内でも研究の存続を危ぶむ声があったという。死生観研究の観点から、伯母がシカゴで経営する施設を初め、多くのホスピス・老人ホームなどを視察している。厚生省(厚生労働省)のオブザーバーとして有識者会議などに参加している。来日当時「がんは早期に告知して、治療の見込みのない患者はホスピスに移す」ことを提案したが、厚生省の役人らから「日本ではガンは告知しないことになっている」と強硬に反対されたこともあるという。
2003年に上智大学を定年退職し、上智大学名誉教授の称号を得る。2003年以降はドイツへ帰国し研究生活を経てふたたび来日。以後、日本各地で講演活動を行う。ユーモアにあふれた講演は人気があり、80歳を超えた現在でも、1日2回以上の講演を受け持つことがある。書き下ろしの「ユーモア感覚のすすめ」は中学校の国語教科書に掲載されていた。
アメリカ文学賞(倫理部門、1975年)、グローバル社会福祉・医療賞(1989年)、全米死生学財団賞(1991年)、菊池寛賞(1991年)、ドイツ連邦共和国功労十字勲章(1998年)、東京都文化賞(1999年)、若月賞(1999年)他、受章歴多数。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフォンス・デーケン」の詳細全文を読む




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