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デーニッツ : ミニ英和和英辞書
デーニッツ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デーニッツ ( リダイレクト:カール・デーニッツ ) : ウィキペディア日本語版
カール・デーニッツ[ちょうおん]

カール・デーニッツ(、1891年9月16日 - 1980年12月24日)は、ドイツ海軍軍人、政治家。
潜水艦作戦の第一人者で、無線誘導による群狼作戦をあみだした。チャーチルを最も苦しめたドイツの軍人の一人。海軍軍人としての最終階級は元帥(大提督)。アドルフ・ヒトラーの自殺後にはその遺書に基づき大統領に就任し、連合国への無条件降伏を行った。
== 経歴 ==

=== 第一次世界大戦から戦間期まで ===

ベルリングリューナウにてカール・ツァイス社の技師だった父エミル・デーニッツのもとに生まれる。母はデーニッツが4歳の時に死に、父が男手ひとつでデーニッツ含む二人の息子を育てた。「皇帝と祖国に仕えることが第一の義務であり、個人の幸福など瑣末なことに過ぎない」というプロイセン的規律がデーニッツ家の教育方針だった。
1910年4月1日フレンスブルク・ミュルヴィックの海軍兵学校 (de)に入学。1912年に父が死去し、父に代わる偶像として上官海軍大尉を尊敬するようになった。フォン・レーヴェンハルトは1912年にデーニッツを小型巡洋艦ブレスラウの士官候補生として配属した。
この艦に勤務中に第一次世界大戦を迎え、オスマン帝国を同盟国に誘うために地中海の港で停泊を続けていたが、潜水艦Uボートに関心を持つようになった。1917年1月に潜水艦当直士官課程を終えるとヴァルター・フォルストマン大尉が艦長を務める潜水艦U39に勤務。
第一次世界大戦に潜水艦長として参戦。1918年、乗艦が潜航中に航行不能となり、急浮上をしたところをイギリス軍に捕らわれて捕虜となる。Uボートの艦長は絞首刑になるという噂を聞き、発狂したふりをして1919年、本国送還となる。
大戦終了後もヴェルサイユ条約によって縮小されたドイツ海軍に残ることができた。しかし、条約で潜水艦の開発、配備が禁止されていたため、デーニッツも水上艦艇の勤務となった。その期間に日本を含む諸外国を遠洋航海で訪問しているが、アメリカに行けなかった事を後に後悔している。水雷艇艇長、駆逐艦艦隊司令、北海方面海軍司令部参謀を歴任後、1934年に軽巡洋艦エムデンの艦長に就任する。1935年にヒトラーのヴェルサイユ条約の軍備制限条項の破棄(ドイツ再軍備宣言)による潜水艦部隊再建のため、大佐だったデーニッツが潜水艦隊司令 (BdU) に抜擢された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・デーニッツ」の詳細全文を読む




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