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デーブ・コンセプシオン(David Ismael Concepción Benitez , 1948年6月17日 - )はベネズエラのアラグア州出身の元プロ野球選手(遊撃手)。右投右打。 == 経歴 == にシンシナティ・レッズに入団した。投手として入団したがすぐに内野手に転向。 4月6日にメジャーデビューを果たす。 にはレギュラーに定着し、オールスターに初選出されるが、その2日前に発症した肘の故障で出場できず、そればかりかシーズン後半戦も棒に振った。 は160試合に出場して打率.281、14本塁打、82打点、41盗塁と活躍。初のゴールドグラブ賞に選ばれ、この年からの4年連続を含めて以後通算5回同賞を受賞した。 、にはチームの2年連続ワールドシリーズ制覇に貢献。 この頃のレッズは「Big Red Machine」と呼ばれたメジャー史上に残る最強チームの1つで、捕手ジョニー・ベンチ、一塁手トニー・ペレス、二塁手ジョー・モーガン、三塁手ピート・ローズ、左翼手ジョージ・フォスター、中堅手シーザー・ジェロニモ、右翼手ケン・グリフィー・シニアらとともにその一員として他球団に脅威を与えた。 7月13日、初めてアメリカ国外(カナダ・モントリオールのオリンピック・スタジアム)で開催されたオールスターで2本塁打を打ち、MVPに選ばれた。 シーズン後半には、長年務めたショートの定位置をバリー・ラーキンと配置転換されたが、代打や、内野全てを守る貴重な控え要員として活躍。ただし、遊撃手としての2,222試合出場のナ・リーグ記録(ラリー・ボーワ)には44試合及ばなかった。 限りで現役を引退した。なお、その年には大敗している試合で投手として登板。1回1/3イニングを投げ、2安打を許したが失点はなく、三振を1つ奪った。 3月に第1回WBCのコーチを務めた。 8月25日、現役時代の背番号「13」が永久欠番となる。その際、「13番は不吉な番号なんかではない。ラッキーナンバーだ。」と述べた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デーブ・コンセプシオン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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