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デーブ大久保 : ミニ英和和英辞書
デーブ大久保[ほ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 

デーブ大久保 ( リダイレクト:大久保博元 ) : ウィキペディア日本語版
大久保博元[おおくぼ ひろもと]

大久保 博元(おおくぼ ひろもと、芸名:デーブ大久保Dave Okubo, デーブおおくぼ)、1967年2月1日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町出身の元プロ野球選手捕手)・監督(東北楽天ゴールデンイーグルス第5代監督)。
に現役を引退した後は、タレント野球解説者フジテレビニッポン放送サンケイスポーツ)・プロゴルファーとして活動。
== 経歴==

=== 現役時代 ===
茨城県立水戸商業高等学校では2年生の時、捕手として1983年夏の茨城大会で決勝に進出するが、エース加茂川重治を擁する茨城東高に敗退。翌年夏も茨城大会で敗れ、甲子園には出場できなかった。高校通算52本塁打を放つ。
1984年度プロ野球ドラフト会議西武ライオンズから1位指名を受け入団。入団当時から長打力があり、の1年間は1A・サンノゼ・ビーズに米国野球留学のため渡米し、帰国したにはジュニアオールスターゲームでMVPを獲得する。しかし、当時は正捕手に伊東勤が定着しており、守備に難があることに加えて肥満体型で起用されることが少なく、ほとんどが代打要員としての出場だった。
5月、中尾孝義との交換トレード読売ジャイアンツへ移籍。これは西武では活躍の場がない大久保のために球団管理部長で実質的にジェネラルマネージャーだった根本陸夫が主導したトレードであった。巨人ではいきなり正捕手として抜擢され、オールスターゲームまでに打率.300、12本塁打を放つ活躍を見せる。また大久保がホームランを打った試合は必ず勝利していたため“大久保が打てば負けない”というジンクスまで生まれた。そのため、藤田元司の進言もあって球団から前半戦終了時に2000万円というボーナスを得た〔大久保の責任ではないが、前半戦終了時という異例の時期に主軸選手の年俸クラスの巨額のボーナスが大久保一人に支給されたことで、球団内に気まずい空気が漂ってしまい、このボーナスは逆効果だった。藤田は「ポンと、渡しちゃった。例えば石毛と大久保に500万ずつとか…。(渡辺に対しての)自分の言葉が足りなかった。)」と振り返っている〕。しかし、1シーズンを乗り切るスタミナがないことが露呈し、8月前半に連続試合安打が途切れて以後は閉幕まで54打数8安打、打率.148、1本塁打と大きく失速し、優勝争いの大事な時期には再び村田真一に正捕手の座を奪われる。
は、開幕から村田との併用ながらハイペースで本塁打を量産し、5月27日対ヤクルトスワローズ9回戦ではプロ入り初盗塁を決めるなどしていたが、その試合で死球を受け左腕を骨折すると9月まで戦線離脱。しかし、10月2日と10月3日の対広島東洋カープ戦では初めて4番・一塁手で先発出場した。は、打撃は良いものの、リードやキャッチングの面から再び村田が正捕手となり、二番手捕手や代打要員に甘んじる。、二年ぶりに開幕戦捕手として出場し斎藤雅樹の二年連続開幕戦完封勝利に貢献したが、4月26日、空振りした際にバランスを崩して転倒し足首を骨折したことが遠因となって、28歳の若さでユニフォームを脱いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大久保博元」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hiromoto Okubo 」があります。




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