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トゥリオ・ピネリ(, 1908年6月24日 - 2009年3月7日)は、イタリアの脚本家、小説家である〔Tullio Pinelli, インターネット・ムービー・データベース , 2010年12月10日閲覧。〕〔Tullio Pinelli, allmovie , 2010年12月10日閲覧。〕。トゥリオ・ピネッリとも表記される〔トゥリオ・ピネッリ、allcinema ONLINE, 2010年12月10日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == イタリア王国(現在のイタリア共和国)トリノに生まれる〔〔。貴族の出身で、騎兵将校、法律家といった職を経て、舞台の戯曲を書き始める〔。戯曲が注目され、映画界に入り、1943年に脚本家としてデビューする〔。 1952年、ピエトロ・ジェルミ監督の『越境者』の脚本で、同作を共同執筆したジェルミ、フェデリコ・フェリーニとともにドイツ映画賞敢闘賞を受賞する〔。1957年、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニとともに第29回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる〔。1958年、フェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、エンニオ・フライアーノとともに第30回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる〔。1959年、フェデリコ・フェリーニ監督の『カビリアの夜』の脚本で、同作を共同執筆したピエル・パオロ・パゾリーニ、エンニオ・フライアーノとともに、スペイン・バルセロナでのサン・ジョルディ賞最優秀外国脚本賞を受賞する〔。 フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、エンニオ・フライアーノとともに1961年にはナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、1962年には第34回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる〔。1964年、フェデリコ・フェリーニ監督の『8 1/2』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、エンニオ・フライアーノとともに、ナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、同年の第36回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる〔。 1976年、マリオ・モニチェリ監督の『私の友だち』の脚本で、同作を共同執筆したレオ・ベンヴェヌーティ、ピエロ・デ・ベルナルディ、ピエトロ・ジェルミとともに、ナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞ならびに同最優秀原作賞を受賞する〔。 1982年、マリオ・モニチェリ監督の『グリッロ侯爵』の脚本で、同作を共同執筆したモニチェリ、ピエロ・デ・ベルナルディ、レオ・ベンヴェヌーティ、ベルナルディーノ・ザッポーニとともにナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞する〔。1986年、マリオ・モニチェリ監督の『女たちのテーブル』の脚本で、同作を共同執筆したモニチェリ、ピエロ・デ・ベルナルディ、レオ・ベンヴェヌーティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコとともにナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞、ならびに同年のダヴィド・ディ・ドナテッロ賞最優秀脚本賞を受賞する〔。1988年、フランスの女優マドレーヌ・ルボーと結婚する〔。 満90歳を迎える1998年、マクシミリアン・ロベスピエールに題材をとった小説『ロベスピエールの家』 ''La casa di Robespierre'' を執筆し、出版される〔。 2009年3月7日、老衰により死去した〔〔。満100歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トゥリオ・ピネリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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