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トウ曄 : ミニ英和和英辞書
トウ曄[とう よう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


トウ曄 : ウィキペディア日本語版
トウ曄[とう よう]

鄧 曄(とう よう、生没年不詳)は、中国代から後漢時代初期にかけての武将。新末の群雄の1人で、王莽の打倒に貢献した人物である。司隷弘農郡析県の人。
== 事跡 ==

=== 長安攻略に貢献 ===

地皇4年(23年)秋、更始帝(劉玄)の即位を知った鄧曄は、同郷の于匡と共に100人余りの人数により南郷で挙兵した。
鄧曄はまず、武関の守備を担当し数千人の兵を率いていた析県の県長に対して「劉家の者が即位した。天命を知れ」と勧告し、これを降伏させて自軍に組み入れた。ここで鄧曄は輔漢左将軍、于匡は輔漢右将軍を自称している。鄧曄・于匡は、析県・丹水県(弘農郡)を攻略し、武関を攻撃して都尉朱萌を降伏させ、さらに右隊大夫宋綱を滅ぼして、湖県(弘農郡)を奪取した。
王莽は、9人の将軍を「九虎将軍」に任命して鄧曄・于匡の討伐に向かわせ、九虎将軍の軍は、回谿(弘農郡華陰県)の要衝を守備した。ここで鄧曄と于匡は、巧みな連携を見せる。まず于匡は、数千の射手を率いて正面から九虎将軍の軍勢に挑む。その間に、鄧曄は閔郷(弘農郡湖県)から出撃して、南方の棗街・作姑に設けられた九虎将軍の防衛線を突破し、そのまま北へ迂回して、九虎将軍の陣営の後背を突き崩したのである。こうして、鄧曄・于匡は、九虎将軍を大いに破った。
この時、更始帝は西屏大将軍申屠建丞相司直李松趙萌長安攻略軍として派遣していたが、鄧曄・于匡は武関を開いて申屠建らの軍を迎え入れ、共に長安を目指して進軍している。まもなく長安は陥落し、鄧曄の配下であった王憲王莽の首級をとり、新は滅亡した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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