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トチノミネフジは、日本のアングロアラブ競走馬である。アラブ血量28.47パーセント。 南関東地方競馬におけるアングロアラブ競走の末期を代表する競走馬で、最後の南関東アラブ三冠馬。1993年度NARグランプリアラブ系年度代表馬、1994年度のNARグランプリ年度代表馬。 == 概要 == 1992年8月に地方競馬の宇都宮競馬場でデビュー。3戦(2勝)した後に大井競馬場へ移籍。以後連勝を重ね、1993年には4歳(馬齢は当時の旧表記)3月の時点で古馬相手の銀盃を制する強さで、南関東アラブ三冠、さらには全日本アラブ大賞典を優勝した。その後もオールカマー重賞の報知グランプリカップやオープン競走(隅田川賞)などではサラブレッドと対戦して破るなど、1994年5月に13連勝を達成。同年6月には中央競馬所属のサラブレッドと対戦するべく吾妻小富士オープンに出走したが11着に敗れた。 だが、南関東に転じて以降の敗戦は、未経験の芝コース〔宇都宮競馬場、南関東公営競馬は全てダートコース。〕と輸送後の競馬の上にサラブレッド相手であった吾妻小富士オープン〔東京シティ競馬データ集 Vol.22 疾駆する血の超越 トチノミネフジ(全3話)芝への挑戦編 〕と、やはりサラブレッド相手に出走馬中最重斤量の59kgのを背負う厳しい条件下で2着惜敗の東京盃だけである。しかも、東京盃で敗れたサクラハイスピードについては以前の報知グランプリカップでは逆に破るなど事実上互角の戦いをしており、1994年のトチノミネフジはサラブレッドも含めての南関東最強クラスの一角として君臨した。 同年12月に全日本アラブ大賞典に優勝し同レース2連覇を達成したのを最後に競走馬を引退。全日本アラブ大賞典で2年連続で繰り広げられた笠松の女傑スズノキャスターとの激突は、南関アラブの伝説的なレースとして、アラブ系競走が無くなった現在でも語られる。 競走馬引退後は種牡馬となったが、産駒はわずか一世代を残したのみで、1996年2月9日に小腸の腫瘍が原因で病死した〔東京シティ競馬データ集 Vol.23 疾駆する血の超越 トチノミネフジ(全3話)最後の大物編 〕。産駒はイーシーキングが宇都宮競馬場の重賞・天馬杯でサラブレッドを破っている。 なおトチノミネフジのサイアーラインの血統はエクリプス系であるが、そのなかでもジョーアンドリュース系という傍系血統だった。このジョーアンドリュース系のサイアーラインはサラブレッドでは現在では既に消滅していて、アングロアラブでは一時は主流父系(タガミホマレ系)であったが現在はアングロアラブ生産自体が事実上消滅している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トチノミネフジ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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