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トッド・クリストファー・マーティン(Todd Christopher Martin, 1970年7月8日 - )は、アメリカ・イリノイ州ヒンスデール出身の元男子プロテニス選手。1994年の全豪オープンと1999年の全米オープンで、4大大会準優勝2度を記録した。シングルス自己最高ランキングは4位。ATPツアーでシングルス8勝、ダブルス5勝を挙げた。身長198cm、体重90kgの長身選手。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 選手経歴 == マーティンはアメリカ人の男子プロテニス選手として、アンドレ・アガシ、ジム・クーリエ、ピート・サンプラス、マイケル・チャンなどと同年代に位置している。彼は4大タイトルを獲得できなかったが、前述の名選手たちとともにアメリカ男子テニスの黄金時代を築いたひとりだった。 イリノイ州のノースウェスタン大学で2年間プレーした後、1990年にプロ転向。前述の仲間たちに比べると、マーティンのプロ入りはかなり遅い。1993年5月に「コーラル・スプリングス」大会でATPツアー初優勝を果たし、初めて世界ランキングトップ10に入る。1994年の全豪オープンで初の4大大会決勝に進出したが、ピート・サンプラスに 6-7, 4-6, 4-6 のストレートで敗れて準優勝になる。この年はウィンブルドンと全米オープンでの準決勝進出もあった。 1996年にウィンブルドンで2年ぶり2度目の準決勝に進出したが、マラビーヤ・ワシントン(アメリカ)との試合は度重なる雨の中断に悩まされ、2セット・オール(2-2:ゲームカウント、マーティンの側から見て 7-5, 4-6, 7-6, 3-6)で日没順延になる。翌日に持ち越された第5セットで、マーティンは何度かのマッチ・ポイントを逃した末に 8-10 でワシントンに敗れ、決勝進出を逃した。 1997年は故障に悩み、シーズン7ヶ月間を棒に振ったが、1998年に2大会で復活優勝を遂げる。1999年の全米オープンで5年ぶり2度目の4大大会決勝に進出したが、今度はアンドレ・アガシに 4-6, 7-6, 7-6, 3-6, 2-6 のフルセットで敗れて準優勝に終わった。 2000年9月のシドニー五輪に出場したが、シングルス1回戦でライナー・シュットラーに敗退している。 トッド・マーティンは2004年の全米オープン1回戦敗退を最後に現役を引退した。2006年からは世界各地を転戦して行われているシニアツアー大会アウトバック・チャンピオンズ・シリーズに参加。2007年シーズンはサンプラス、ジョン・マッケンローら往年の名選手を抑えて総合優勝を遂げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トッド・マーティン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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