|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トニー・ペドロ・オリバ(Tony Pedro Oliva , 1938年7月20日 - )は、キューバ共和国・ピナール・デル・リオ州出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 愛称は"Tony-O"(トニー・オー)。 現役時代の背番号「6」はMLBのミネソタ・ツインズの永久欠番となっている。MLBオールスターゲームに8年連続で選出され、首位打者を3度獲得した。 == 経歴 == キューバでは父親や兄弟、近所の人と毎週のように農場近くの空き地で野球をプレーしていた。本人はキューバから離れることに消極的だったが、セミプロの元野球選手だった父の奨めもあり、MLBのミネソタ・ツインズのスカウトであるジョー・カンブリアと2月に契約を結んだ。彼に連れられ、アメリカ合衆国へ渡った。 9月9日にMLB初出場を果たし、同年は9試合に出場。翌は9月9日から7試合に出場した。いずれも打席数はわずかであったが2年とも4割を超える打率を残した。 は開幕からMLBに定着、161試合に出場して打率.323を記録し、首位打者のタイトルを獲得した。また、リーグ最多となる109得点・217安打・43二塁打・374塁打を記録。オールスターゲームに選ばれ、新人王にも輝いた。新人王の投票では、20人のうち1人がウォーリー・バンカーに票を投じたため、満票での受賞はならなかった。オールスターゲームにはまで8年連続で選出された。これはジョー・ディマジオの6年連続を抜き、イチローに破られるまで最多連続記録だった 〔8年連続オールスター出場の名選手トニー・オリバ『週刊ベースボール』2012年4月16日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20443-4/16, 36頁 〕。 は打率.321を記録し、2年連続で首位打者のタイトルを獲得した。ワールドシリーズでは初戦で右翼手として最多タイとなる7刺殺を記録したが、7試合の出場で打率.192に終わった。チームはロサンゼルス・ドジャースに3勝4敗で敗れた。シーズン終了後のMVPの投票では、チームメイトのソイロ・ベルサイエスに次ぐ2位に入った。 に初めてゴールドグラブ賞を受賞した。 にアメリカ合衆国の市民権を取得した。 1971年は自己最高(規定打席以上)の打率.337を記録し、3度目の首位打者のタイトルを獲得した。しかし、6月29日の対オークランド・アスレチックス戦でジョー・ルディの打球をダイビングキャッチを試みた際に右膝を痛めた。そのため、オールスターゲームに選出されたものの欠場。 は右膝の怪我の影響で18試合の出場に終わった。 以降は指名打者として起用された。 はコーチ兼任となり、シーズン終了後に現役を引退した。はコーチ業に専念した。 からまで再びツインズのコーチを務めた。 現役時代の背番号「6」は7月14日に永久欠番に指定された。 にツインズ野球殿堂入りを果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トニー・オリバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|