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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トニー・セント・クレアー(Tony St. Clair)のリングネームで知られるアンソニー・グレゴリー(Anthony Gregory、1947年3月28日 - )は、イギリス・ボルトン出身のプロレスラー〔。生年は1950年ともされていた〔『THE WRESTLER BEST 1000』P217(1996年、日本スポーツ出版社)〕〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P39(2002年、日本スポーツ出版社)〕。 イギリスをはじめ、ドイツやオーストリアなどヨーロッパを主戦場に、技巧派のベビーフェイスとして活躍した。父親のフランシス・グレゴリー、兄のロイ・セント・クレアーもプロレスラーである。 == 来歴 == 1940年代から1950年代にかけて活躍した父フランシスのトレーニングを受け、兄ロイと共にプロレスラーとなり、1966年に18歳でデビュー〔。ロイとの兄弟タッグチーム "ザ・センセーショナル・セインツ" での活動を経て、ロイ引退後の1970年代後半よりシングルプレイヤーに専念する〔。 1977年5月には地元のマンチェスターにてジョイント・プロモーションズ認定のブリティッシュ・ヘビー級王座を獲得。1978年11月にジャイアント・ヘイスタックスに敗れて王座を失うも、1979年4月にロンドンにて奪還に成功、以降パット・ローチやピート・ロバーツらの強豪を相手に防衛を重ね、タイトルの管理権がオールスター・プロモーションズに移行後の1985年まで長期間に渡って戴冠するなど〔、英国マット界のスターとなった。 1982年からは新興団体のオールスター・プロモーションズ(後のオールスター・レスリング)に活動の場を移し、同年5月8日にビッグ・ジョン・クインから世界ヘビー級王座を奪取、以降1984年にかけてクインを相手に同王座を争った。 1980年代後半よりオットー・ワンツが主宰していたドイツ・オーストリアのCWAを主戦場に活動。1988年6月にはミレ・ツルノとのコンビでデイブ・フィンレイ&マーク・ロコを破り、CWA世界タッグ王座の初代チャンピオン・チームに認定されている。CWAではスティーブ・ライトやデビッド・テイラーともタッグを組み、ランボーやテキサス・スコット、パパ・シャンゴ、ジョン・ホークなどアメリカやカナダの大型選手とも対戦。1993年12月18日開催の "CWA Euro Catch Festival" では、テリー・ファンクとのフォールズ・カウント・エニウェア・マッチが行われた。 1990年代後半はアメリカから遠征してきたジャン=ピエール・ラフィットやライノ・リチャーズと抗争を展開し、1998年12月19日にはブレーメンにてロビー・ブルックサイドからCWAインターコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取、同タイトルの最後のチャンピオンとなった。CWAが活動を停止した2000年代からは、EWPやDWAなどドイツのインディー団体にスポット参戦していた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トニー・セント・クレアー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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