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トニー・タラスコ(Anthony Giacinto "Tony" Tarasco , 1970年12月9日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。 シカゴ・ホワイトソックスの遊撃手であるジミー・ロリンズは従弟にあたる。 == 経歴・人物 == のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから15巡目(全体372位)指名され、プロ入り。4月30日にメジャーデビュー。にモントリオール・エクスポズ、にボルチモア・オリオールズに移籍。 オリオールズ時代の1996年に大きなアクシデントを経験する。ニューヨーク・ヤンキースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおいて、1点リードしていたオリオールズの守備固めの選手として出場していたタラスコは、第1戦の8回にデレク・ジーターの大飛球を捕球しようとしたものの、フェンスから乗り出した12歳の少年に捕られてしまった。本来なら守備妨害だが、本塁打のジャッジが宣告されて抗議するも覆らず、延長戦でチームは敗北した。 その後、にシンシナティ・レッズ、にニューヨーク・ヤンキースと渡り歩き、にハワード・バトルと共に阪神タイガースに入団。斧で木を伐採するというトレーニング方法はあのランディ・バースと同じということで期待もされていた〔2000年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑〕。この時のポジションは右翼手であり、陽気な性格と強肩が魅力であった。キャンプ・オープン戦では、逆らわずに打つ広角打法と俊足、強肩、好守を見せ3割は間違いないといわれていたが、シーズン突入すると人が代わった様に、無理やり引っ張り込む打法になり2割前半を低迷。後半戦開幕戦にサヨナラ安打を放ち、復調の兆しを見せるが結局、打率.239、19本塁打、57打点とキャンプ・オープン戦当時のシュアな打撃は最後まで戻らずシーズン終了時に解雇。 中堅手の新庄剛志とは仲が良く、新庄の赤のリストバンドをつけるなどしている姿が見られた。アメリカに戻ったには春季キャンプで当時メジャー挑戦中の新庄と再会している。 にニューヨーク・メッツでメジャーに復帰してそこそこの成績を残すものの、大麻所持の報道がなされた〔Two Met Players Caught Smoking Marijuana FOXニュース 2002年6月29日 〕。 引退後はワシントン・ナショナルズのマイナー組織で守備走塁コーチを務め、その間にブライス・ハーパーを指導した〔Harper confident he can make club this spring メジャーリーグベースボール 2012年2月7日 〕。 からはナショナルズの一塁ベースコーチ及び外野守備コーチに就任することとなり〔Tony Tarasco joins Nationals’ coaching staff ワシントンポスト 2012年11月14日 〕、まで務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トニー・タラスコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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