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トビリシ首都圏 : ミニ英和和英辞書
トビリシ首都圏[けん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゅ, くび]
 (n,n-suf) counter for songs and poems
首都 : [しゅと]
  1. (n,adj-no) capital city 2. metropolis 
首都圏 : [しゅとけん]
 【名詞】 1. the capital city (often Tokyo) area (typically within 50 km of city's centre) (center) 
: [みやこ]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis 
: [けん]
  1. (n,n-suf) sphere 2. circle 3. range

トビリシ首都圏 ( リダイレクト:トビリシ ) : ウィキペディア日本語版
トビリシ[けん]

トビリシグルジア語: , Tbilisi )はグルジア首都。ときにティフリス(Tiflis)とも呼ばれる。トビリシは「あたたかい」を意味するトビリに由来し、温泉と関係あるとされている。元史には梯弗里斯とも呼ばれる。人口は約120万人。
グルジア東部、クラ川の河畔に広がる。三方を山や小高い丘に囲まれている。'', Tbilisi )はグルジア首都。ときにティフリス(Tiflis)とも呼ばれる。トビリシは「あたたかい」を意味するトビリに由来し、温泉と関係あるとされている。元史には梯弗里斯とも呼ばれる。人口は約120万人。
グルジア東部、クラ川の河畔に広がる。三方を山や小高い丘に囲まれている。
== 歴史 ==

紀元前4000年ごろの居住跡が確認されている〔吉村貴之・前田弘毅・廣瀬陽子「温泉と風とバラ色の街」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 51ページ〕。すでに4世紀ペルシア史料に、この地域に集落があったことが言及されている。今も市内に一部が残るナリカラ砦はこの頃に造られたものである。その後、5世紀に(後にとも言われた)の王(ワフタング1世)がここに町をつくり、王の死後、息子のが遺訓に従い、6世紀の初めにムツヘタから遷都した。統一したグルジア王国の都ではなく、コルキスを含まない東グルジア(カルトリ)の都であった。ワフタング・ゴルガサリ王がこの地を発見したのには、有名な言い伝えが残っている。王が狩に出かけ、鷹を飛ばした。鷹は雉を追いかけて飛んでいったが、鷹も雉も行方不明となった。従者たちが探し回ると鷹も雉も温泉の中に落ちていた。温泉を発見したワフタング・ゴルガサリはそれをとても気に入り、この地に町を作るように命じた、という。グルジア語の古語で"Tpili"とは「暖かい」という意味で、それがトビリシの語源である。
570年以降、サーサーン朝ペルシアに征服され、627年に、東ローマ帝国ハザールの連合軍が陥落させた。736年にはカリフマルワーン2世に率いられたウマイヤ朝の軍が進入。以後、としてアラブ人に支配される。1068年スルターンアルプ・アルスラーンの下、セルジューク朝の侵略を受ける。1122年に、セルジュークとの激しい戦闘に勝利し、(ダヴィト建設王)がトビリシを解放してグルジアを統一。西グルジアのクタイシからトビリシに遷都し、全グルジアの首都となり王国の領土は拡大し繁栄の道を進む。タマル女王のもとで黄金時代を迎える。しかし1世紀で終わりを告げる。1226年ホラズム・シャー朝のスルターン・ジャラールッディーン・メングベルディーの侵攻を受け、1236年にはモンゴルの統治下に入る。モンゴル支配下のトビリシは自治を享受できた時代であった。14世紀から18世紀にかけて、ティムールタブリーズのシャー、白羊朝、など入れ替わり来襲を受ける。1522年サファヴィー朝イランの侵攻を受けるもに解放される。この時期は荒廃したトビリシの再建の時代であった。1795年、イランのアーガー・モハンマド・シャーの軍勢の前に、トビリシは灰燼に帰す。もはや、イランやトルコの侵攻の前に成す術も持たないグルジアは、ロシア帝国の庇護を求め、1801年帝政ロシアに編入された。トビリシには総督府が置かれ、カフカース(コーカサス)支配の拠点となった。その間、都市は大きく発展し、近代ヨーロッパ的な町並みが形成される。1811年には8500人であった人口は、1825年には2万人になったという。19世紀末にはトリビシ・ポチ線、パトゥミ・トリビシ・バグー線の鉄道敷設で交通の要衝となった。当時ペルシャ、オスマン、スウェーデン、ベルギーの公館も建ち、国際都市の様相を呈した〔吉村貴之・前田弘毅・廣瀬陽子「温泉と風とバラ色の街」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 52ページ〕。アレクサンドル・プーシキンレフ・トルストイが幾たびも訪れ、ロマノフ朝の王族の屋敷も市内に作られた。1918年にグルジアが独立した際、トビリシはグルジア民主共和国(1918年-1921年)の首都となる。以後、グルジア・ソビエト社会主義共和国1921年 - 1922年1936年 - 1991年)、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国1922年 - 1936年)の首都。1991年にグルジアが再び独立を果たして以後、グルジアの首都である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tbilisi 」があります。




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