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トマシュ・ジョンサ : ウィキペディア日本語版
トマシュ・ジョンサ

トマシュ・マリウシュ・ジョンサTomasz Mariusz Rząsa, 1973年3月11日 - )は、ポーランドクラクフ出身の元サッカー選手、元ポーランド代表。現役時代のポジションは左サイドバック
== 経歴 ==

=== クラブ ===
地元KSクラコヴィアの下部組織でフォワードとしてキャリアを始めたジョンサは、2部を戦う同クラブのトップチームでデビューを飾り〔"omasz Rząsa skończył wczoraj 30 lat" 〕次に在籍したKSソークウ・プニエビpl)でもフォワードとしてプレーし、得点を量産した。その後、入団テストを経て1994年12月27日にフランス1部で首位を走るFCナントと翌シーズンからの移籍で合意に達したと報じられていた〔"Rząsa w FC Nantes" 〕ものの、ジョンサ自身の意向から1995年1月23日にスイス1部グラスホッパー・クラブ・チューリッヒと契約した〔"Pod ścianą, Rząsa w Grasshoppers" 〕。
そのグラスホッパーズでは、加入1季目となる1994-95シーズンにリーグ優勝を経験する一方で次のシーズンへ向けての合宿中に半年の負傷離脱と苦しみ、自身のサッカー人生で最悪の瞬間となった〔"Tomasz Rząsa skończył wczoraj 30 lat" 〕。その後、同国1部のACルガーノBSCヤング・ボーイズを経てオランダ1部デ・フラーフスハップと契約し、それからさらに2季後に同国1部の強豪フェイエノールトと契約した。フェイエノールトでは、すぐさま左サイドバックのチニーニョen)から定位置を奪うことに成功〔"No Rotterdam return for Tininho" 〕して以降、チームの中心選手を務め、2002年5月9日に本拠地のデ・カイプで行われたボルシア・ドルトムントとの決勝戦で先発フル出場してクラブ史上2度目の優勝に貢献〔"Final joy for Feyenoord" 〕し、その活躍が認められてポーランドの主要スポーツ紙Piłka Nożnaが選定するの候補に選出された〔"Rzasa kandidaat Pools Voetballer van het Jaar" 〕。最終的に同賞はマチェイ・ジュラフスキが受賞したが、その代わりに自身は年間最優秀左サイドバックに選出された〔"Rzasa geen Pools voetballer van het jaar" 〕。しかし、翌2002-03シーズンは歓喜を味わった昨季から一転して控えで過ごすことが多くなり、ベルト・ファン・マルワイク監督から現行の契約が終了する夏に契約更新する予定がないことを告げられたため、冬の移籍市場で母国1部ヴィスワ・クラクフと交渉したが破談に終わったことでシーズン終了後まで滞在が決定した〔"Willem eyeing Rzasa" 〕。その後、新シーズンに向けた夏の移籍市場でクリス・ヤンセンスen)の後釜としてヴィレムIIから関心を寄せられ〔オファーが届く〔"Rzasa makes Partizan switch" 〕も、レベルの高いクラブでのプレー、監督、そしてUEFAチャンピオンズリーグ 2003-04に出場出来ることを理由として〔"Tomasz Rząsa: Jestem dopiero miesiąc w Belgradzie" 〕2003年7月3日に自由移籍でローター・マテウス監督率いるセルビア・モンテネグロ1部パルチザン・ベオグラードと延長オプション付きの1年契約を締結した〔"Rzasa departs for Partizan" 〕。
パルチザンを退団後は、入団テストを経てイングランド2部リーズ・ユナイテッドAFCと一旦は合意に達したものの、リーズ側の財政難により取引は完了せず〔"Rzasa wanted Leeds move" 〕、最終的に2004年8月3日にエリック・エドマンの後釜としてオランダ1部のSCヘーレンフェーンと1年延長オプション付きの1年契約を締結した〔"Rzasa heading for Heerenveen" 〕。加入当初は若手のイェルン・ドロストen)の存在から控えに甘んじていたことでなかなか初出場を飾れなかった〔"Drost vervangt Rzasa tegen AZ" 〕ものの、最終的に22試合に出場して2004-05シーズンを終了した。しかし、2005年夏になり新シーズンへ向けてチームの練習に参加したが、その際に自身の契約が延長されていないことが発覚。元々は、昨季の試合に70%出場していれば契約が延長されるというものであり、その条件を達成していたものの、自身がクラブ側に延長オプションを行使すると通知しなければ契約更新とはならず、また、クラブ側が選手との契約延長を望まなかったため発生した問題だった〔"Rzasa on the move" 〕。そのため自由契約選手となったジョンサは、2005年7月12日にシアーク・ポラクen)の後釜として同国1部のADOデン・ハーグと1年契約を締結〔"Rau rescued by Arminia" 〕。2006年8月16日には、オーストリア・ブンデスリーガSVリートと1年契約を締結〔"Tomasz Rząsa w SV Ried" 〕した後は、2007年5月15日に契約を1年延長〔"Rząsa przedłużył kontrakt z SV Ried" 〕し、同2007-08シーズン終了に伴い契約満了となった後は、自身がキャリアを開始したクラコヴィアに復帰することをメディアに匂わせていた〔"Tomasz Rząsa wraca do swojej Cracovii" 〕ものの、2008年5月6日に現役引退を表明した〔"Tomasz Rząsa zakończył karierę" 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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