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トマス・ウェッジウッド(''Thomas Wedgwood'' 、1771年5月14日 - 1805年7月10日)は、イギリスの陶芸家でウェッジウッドの創業者ジョサイア・ウェッジウッドの息子で、写真史において初期の実験者のひとりとして広く知られる人物。 ウェッジウッドは、感光性がある化学物質を塗布した材料にカメラ・オブスクラで捉えた像を投影し、そこから永続的な画像を作ることを着想した、確認される限りでは最初の人物である。ウェッジウッドが行なった実際の実験では、すぐに消え去らない像としてはフォトグラム状の影しか捉えることはできなかったが、彼の着想は大きな突破口となり、部分的には成功したと見なせることもあって、写真史研究者の中にはウェッジウッドを「最初の写真家」と呼ぶ者もいる〔e.g. Litchfield, book title et al.〕〔Talbot, W.H.F. (1844). ''The Pencil of Nature'', Longman, Brown, Green and Longmans, London, 1844. :同書の11ページで、タルボットは、ウェッジウッドとデービーの実験について1802年に発表された最初の報告へ言及し、自分自身の研究がある程度進むまで、これを読んでいなかったことを述べた上で、「...自分たちこそ写真術の最初の発明者であるとする彼らの主張には確かに道理があるが、彼らが実現した実際の進歩は小さなものにすぎなかった。(...certainly establishes their claim as the first inventors of the Photographic Art, though the actual progress they made in it was small.)」と述べている。〕。 == 生涯 == トマス・ウェッジウッドは、後にストーク=オン=トレントに編入された、イングランド中部スタッフォードシャー州エトルリア(''Etruria'' )に生まれた。 ウェッジウッドの家系は、代々製陶業に従事しており、エトルリアで育ち、教育を受けたウェッジウッドは、幼い時から芸術への愛好心を植え付けられていた。ウェッジウッドは、その短い生涯の大部分にわたって画家、彫刻家、詩人たちと交わり、1795年に父の築いた富を相続してからは、パトロンとしての援助も行なった。 青年期のウェッジウッドは、児童教育の最も優れた手法は何かという問題に興味を傾け、幼児の研究に没頭した。ウェッジウッドは自らの観察から、幼い脳が吸収する情報の大部分は視覚に由来しており、光や映像と関わっている、という結論を導いた。 ウェッジウッドは、結婚せず、子どももいなかった。ウェッジウッドの伝記作家の記すところによると、「残された書簡類や、一家の口伝からも、彼が交際するサークルの外で、誰か女性と親密であったことを示唆するものはなく (''neither his extant letters nor family tradition tell us of his caring for any woman outside the circle of his relations'' )」、ウェッジウッドは、音楽的才能のある感性の高い若い男性たちに「強く惹かれて (''strongly attracted'' )」いたという。 ウェッジウッドは、子どものときから健康に優れず、成人してもしばしば倒れることがあったが、最期はドーセット州において、34歳で没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トマス・ウェッジウッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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