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トマス・スタンリー : ミニ英和和英辞書
トマス・スタンリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トマス・スタンリー ( リダイレクト:トマス・スタンリー (初代ダービー伯爵) ) : ウィキペディア日本語版
トマス・スタンリー (初代ダービー伯爵)[ちょうおん]

初代ダービー伯爵トマス・スタンリー(Thomas Stanley, 1st Earl of Derby, 1435年 - 1504年7月29日)は、15世紀イングランドの貴族である。初代スタンリー男爵トマス・スタンリーの長男で、テューダー朝を開いたイングランド王ヘンリー7世は継子にあたる。
1459年、父の死により第2代スタンリー男爵となったが、イングランドは薔薇戦争の真っ只中であり、王族、貴族はランカスター派ヨーク派に分かれて抗争を繰り返していた。トマスはソールズベリー伯リチャード・ネヴィルの四女エレノアを妻に迎えていたが、どちらにも加担せず、日和見を決め込んでいた。
1461年にヨーク派のエドワード4世の即位を支持したが、1470年に義兄の「キングメーカー」ウォリック伯がエドワード4世を追放してヘンリー6世を復位させるとランカスター派を支持する。間もなくエドワード4世の反撃を受け、ウォリック伯は戦死、ヘンリー6世はロンドン塔に監禁されたが、トマスは罪に問われず、エドワード4世に仕えた。日和見や寝返りを繰り返したトマスが咎められなかったのは、彼がイングランド北西部のランカシャーチェシャーに影響力を持っており、王家もそれを無視できなかったからであった。
後にエドワード5世の叔父グロスター公リチャードによってロンドン塔に投獄された時も、すぐに釈放されている。リチャード3世の支持者として活動しながらも、マーガレット・ボーフォートと再婚しているなどランカスター派とも繋がっていた。
1485年ボズワースの戦いでは、リチャード3世の軍に属していながら実際に参加せず、結果的に継子のヘンリー7世の勝利に貢献した。そして10月にダービー伯爵に叙爵された。その後はヘンリー7世に忠実に従っていたが、1495年に王位僭称者パーキン・ウォーベックを支持した弟のウィリアムが処刑、1503年に長男のジョージに先立たれるなど、身内の不幸が相次いだ。
1504年に死去し、ダービー伯爵は孫のトマス(ジョージの息子)が継承した。以降スタンリー家はダービー伯爵家として存続、現在に至る。1852年首相に就任したエドワード・スミス=スタンリーは子孫である。
== 参考文献 ==

* ジョン・ジョゼフ・バグリー著、海保眞夫訳『ダービー伯爵の英国史』(1993年、平凡社
* 海保眞夫『イギリスの大貴族』(1999年、平凡社)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トマス・スタンリー (初代ダービー伯爵)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thomas Stanley, 1st Earl of Derby 」があります。




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