|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
トマス・レイク・ハリス (''Thomas Lake Harris''、1823年5月15日 - 1906年3月23日)はアメリカ合衆国の神秘主義者、詩人、宗教家。性愛哲学の布教者でもある。信者とコロニー生活を送り、幕末には薩摩藩からの留学生らも参加した。 ==経歴== 1823年5月15日にイギリスのバッキンガムシャー州フェニー・ストラッドフォード〔The Encyclopedia Americana (1920)/Harris, Thomas Lake 〕で厳格なピューリタンの家庭に生まれた。非常に貧しく、5歳のときに両親とともにアメリカに移住した。幼少期に母を亡くし、9歳から家計を助けた。21歳でユニヴァーサリスト・チャーチの説教師となったが、そのときスウェーデンボリの思想に傾倒したといわれる。1850年頃、ニューヨークで独自の説教活動を開始し(‘Independent Christian Society’〔 )、トランス状態で一連の神秘的詩作を行って、多くの信奉者を集めた。1859年頃にニューヨーク州ダッチェス郡ワセイクに宗教共同体「新生兄弟会」(The Brotherhood of the New Life)を創立、その預言者的存在となった。1867年に数十人の信者を連れてシャトークア郡 (ニューヨーク州)ブロックトンに転居し、信者たちと共同生活を送り、農業などで自給自足の生活をしていた〔。この頃、薩摩藩留学生11人が加わり、1年ほどコロニー生活を送った。最盛期には信者はイギリスとアメリカに2000人ほどいたとされる〔。 ハリスの思想は、スウェーデンボリの思想の独自解釈にヒンドゥー教神秘思想が加わったものといわれる。ハリスは正統なキリスト教信仰を非難し、厳しい修練と共同生活を通して神の国を目指す、熱烈な信仰者であった。厳しい肉体労働とハリスを「父」と仰ぐ共同体の生活と秩序を通して、根本から自己を作り変え、再生するという考えのもと、長時間の農耕、無私、質素などが実践された〔。家族であっても同居は許されず、他のメンバーとの会話を禁止される者もあり〔、ハリスの指示に従うことが絶対とされた。 1875年にサンタローザ (カリフォルニア州)へ移り、コロニー「ファウンテングローブ」を造る。テントでのキャンプ生活をしながら、購入した1200エーカーの土地を開墾し、ぶどう園とワイン醸造所を造った〔 (永島忠重, 1929)〕。1892年にファウンテングローブを長沢鼎ら信徒にまかせ、自らはニューヨーク市に移り住み、1895年に引退した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トマス・レイク・ハリス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|