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トマス西 : ウィキペディア日本語版
トマス西[とます にし ろくざえもん]
トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、1590年 - 1634年寛永11年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリスト教カトリック)の司祭1987年に「聖トマス西と15殉教者」としてカトリック教会聖人に列せられた。
== 生涯 ==
1590年(天正18年)、ガスパル西の次男として生月島(現在の長崎県平戸市)で誕生。母はウルスラ・トイ。
両親は敬虔なキリシタンであり、自身もカトリックの幼児洗礼を受けてキリスト教に帰依した。幼少のころ有馬(現在の長崎県南島原市)のセミナリオで勉学に励み、同宿(教会や修道院で奉仕する人)になり、1620年マニラに渡る。1624年、ドミニコ会に入り「ロザリオのトマス」の修道名を授かる。
1626年、司祭に叙階され、帰国して迫害に苦しむ信者たちを励まし秘跡を授け、江戸幕府の役人の目から逃れてきた。しかし、ともに司牧にあたっていた同会のジョルダーノ・アンサローネ神父を看病している最中に捕らえられ、長崎に連行された。拷問を受け棄教を迫られたがそれに屈せず信仰を貫き、1634年(寛永11年)11月17日、西坂の丘で逆さ吊りの刑を受け殉教(死去)した。
同時期に殉教したドミニコ会関係者15人とともに、1981年マニラでカトリック教会の福者にあげられ、6年後の1987年ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。同時に列聖されたヤコボ朝長、ビセンテ塩塚とともに、日本人司祭として初めての聖人となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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