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トミスラフ・エルツェッグ : ミニ英和和英辞書
トミスラフ・エルツェッグ[らふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough

トミスラフ・エルツェッグ : ウィキペディア日本語版
トミスラフ・エルツェッグ[らふ]

トミスラフ・エルツェッグ(Tomislav Erceg、1971年10月22日 - )は、クロアチアスプリト出身の元サッカー選手FW)。
なお「トミスラヴ・エルツェグ」が原語読みに近いが、検証可能性の観点からJリーグ登録時の名前を本表題で用いている。
== 来歴 ==
クロアチア代表のストライカー。代表での唯一のゴールは1997年6月12日仙台スタジアム杮落としである、対トルコ代表戦で決めている。
スプリト生まれのエルツェッグは、1992年プルヴァHNLハイドゥク・スプリトで頭角を現し、その後も国内ではほぼ同チームで過ごした。また、各国のリーグを渡り歩いた。なお、国外からクロアチアクラブへの移籍の際はほぼハイドゥクに入団しており、都合4回の再入団は2010年現在クラブ記録でもある。
2000年11月、トルコスュペル・リグのに2年契約で移籍する〔 も、翌シーズンにはハイドゥクにレンタル移籍の形で復帰している。
2002年9月、J1残留争いをしていたサンフレッチェ広島に得点力を期待されレンタル移籍で加入するも、チームにフィットするのが遅く、結局チームはJ2に降格してしまう。翌2003年も引き続きレンタルで在籍するも、同年5月事実上構想外になり退団する〔。
2004年、HNKリエカでプルヴァHNL得点王に輝いている。その実績を引っさげ2005年にSpVggグロイター・フュルトへ移籍するも〔、1シーズンで退団した。
2006年にハイドゥクで引退。その後はハイドゥクでスポーツディレクター(GM職)を務めた。任期中、会長の交代や財政難や相次ぐ監督の交代、ユース出身の有望な若手と契約できずライバルのディナモ・ザグレブへ行ってしまったことなど問題が多発した。フロント内部での争いに負け、2008年2月チームを退団。
現在はニコラ・カリニッチマテオ・コヴァチッチなどのFIFA公認代理人をしている。
また、2009年現在でもサンフレッチェ広島との関係が深く、ミハエル・ミキッチ獲得のためにディナモ会長と会談、説得をしている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トミスラフ・エルツェッグ」の詳細全文を読む




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