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トミスラフ・マリッチ : ミニ英和和英辞書
トミスラフ・マリッチ[らふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough

トミスラフ・マリッチ : ウィキペディア日本語版
トミスラフ・マリッチ[らふ]

トミスラヴ・マリッチ(、1973年1月28日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手、指導者。元クロアチア代表。ポジションはフォワード
== 来歴 ==
出身地はドイツだが、両親ともクロアチア人クロアチア国籍も持つ。弟のマリオもクロアチア代表経験を持つサッカー選手。シュトゥットガルト・キッカーズ(当時2部)に所属していた1999-00シーズンには21得点を挙げて2部リーグ得点王に輝いた。更にこのシーズンのDFBポカールにて、キッカーズはボルシア・ドルトムントSCフライブルク等、ブンデスリーガに所属する格上のクラブを次々に破り、準決勝まで進出する。マリッチは準々決勝フライブルク戦での決勝点を含む4得点の活躍で、この快進撃に大きく貢献した〔Maric, Tomislav - Karriere beendet - 2. Bundesliga 〕。翌2000-01シーズンにはブンデスリーガVfLヴォルフスブルクへ移籍。2002年にはクロアチア代表に選出され、同年5月8日のハンガリー戦で代表デビューを飾った。
2005年、退団したエメルソンの代役としてロブソン・ポンテと共に浦和レッドダイヤモンズへ入団した。2004年にも、浦和レッズのテストを受けたが不合格、早急に代役が必要なため、2004年にテストを受けたこともあるマリッチに白羽の矢が立った。Jリーグ初ゴールは、2005年8月27日名古屋グランパスエイト戦(瑞穂)。第85回天皇杯では5試合連続6得点の活躍で、浦和の25年ぶりの天皇杯優勝に貢献。その活躍の様子はクロアチアでも報道された〔Samuraj Marić osvojio Carski kup 2006/1/1 〕。
2006年1月2日に浦和との契約が満了し退団。わずか半年の在籍であったが、天皇杯のタイトルをもたらした立役者であり、サポーターからも愛された。天皇杯決勝でのセレモニー終了後、国立競技場に残った多数のサポーターによるカーテンコールに見送られ、翌日1月2日には早朝にもかかわらず数百名のサポーターが帰国前のマリッチを一目見ようと練習場に駆けつけ、別れを惜しんだ〔トミスラフ・マリッチ選手が帰国|浦和レッドダイヤモンズ公式サイト 〕。
その後、2005-06年シーズン当時レギオナルリーガ(3部相当)のTSG1899ホッフェンハイムに移籍。2部昇格に貢献した。またW杯ドイツ大会期間中、浦和はドイツ遠征を行ったが、その際にホッフェンハイムとの親善試合が行われた。
2007年夏、チームの2部昇格を区切りとし、ホッフェンハイムのコーチに就任。指導者への道を選んだ。2010年4月にはサッカードイツ協会のS級ライセンスを取得〔S級ライセンス獲得 〕。同年7月30日、ホッフェンハイムとの契約を終えた〔1899 Hoffenheim and Tomislav Maric agree contract termination 〕。
2015年1月、スロバキア1部リーグのDAC 1904 ドゥナイスカー・ストレダの監督に就任した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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