|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トミー・ボンド(Thomas Henry Bond, 1856年4月2日 - 1941年1月24日)は、1870-1880年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手(投手)。アイルランド・ロングフォード州生まれ。1877年にメジャーリーグ初、ナショナルリーグ初の最多勝、最多奪三振、最優秀防御率の投手三冠を獲得した。 == 経歴 == 1874年に、当時のナショナル・アソシエーションに参加していたブルックリンのアトランティック・クラブに所属、投手として55試合に登板したが、成績は22勝32敗で、敗戦数、失点数、自責点、被本塁打の4つの部門でリーグ最多を記録する。翌1875年からはハートフォード・ダークブルースに所属、チームがナショナルリーグに加盟した1876年と2年間在籍し、その間2年続けて防御率1点台の好投をみせた。 投手としてのピークはハートフォードからボストン・レッドキャップスに移った1877年からの3年間で、1877年と1878年に2年続けて40勝を記録、またこの2年間の奪三振数もそれぞれ170,182とリーグ最多となり、ボストンの両年のナショナルリーグ優勝に貢献した。さらに、1877年はメジャーリーグ初となる40勝、防御率2.11、奪三振170での投手三冠王。 1879年にはリーグ最優秀防御率とともに11の完封勝ち(リーグ最多)を記録するなど、ナショナルリーグ設立当初のボストンの主力投手として1880年まで活躍したが、怪我の影響か翌年以後は年に数試合に出場するだけにとどまった。 1883年は丸1年ナショナルリーグではプレーせず、投手として本格的に復帰したのは1884年のことだった。この年ユニオン・アソシエーションのボストン・レッズから23試合に登板し13勝9敗、シーズン中にアメリカン・アソシエーションのインディアナに移って5試合に投げるが、インディアナでは勝ち星を挙げられず、同年8月にインディアナから放出されると、以後選手として試合に出場することはなかった。 以後1885年にはナショナルリーグで17試合、1891年にはアメリカン・アソシエーションで1試合審判として出場した記録が残っている。1941年にボストンで死去。ナショナルリーグ初年度(1876年)に出場した選手の中では、最後まで存命した選手でもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミー・ボンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|