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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トミー・モリソン(Tommy Morrison、男性、1969年1月2日 - 2013年9月1日〔ボクシング元世界チャンピオンのトミー・モリソン氏死去 時事通信 2013年9月3日〕)は、アメリカ合衆国出身のプロボクサー。 俳優ジョン・ウェインとの関係については甥や甥の息子であるなど諸説あるが、ジョン・ウェインの息子パトリック・ウェインは「彼がジョン・ウェイン家とほんとうに血縁関係にあるのかは知らないけど、彼がこれからも試合に勝ち続けるなら彼は確かに父の甥だよと言わなければならないだろうね」と冗談で答えている。「ロッキー5/最後のドラマ」にボクサー役として出演した。当時のヘビー級戦線では黒人選手の多い中、アメリカ出身の白人選手は珍しく、当時はまだマイナー団体の域だったWBO世界ヘビー級王座を獲得しキャリア序盤では甘いマスクという事もあって人気を博した。 == 来歴 == 荒れた家庭(兄弟は後に強姦罪で懲役15年、母親は殺人で無罪判決を受けた過去がある)に生まれ父親に虐待されながら育つ〔、幼少期に両親が離婚、学校を辞め建築現場などで働いた。13歳でIDカードを偽造してタフマンコンテストに出場、2倍近い年齢、体格の大人たちと殴り合った。タフマンコンテストでは50勝1敗の戦績を残した。 その後、アマチュアボクシングへ転向、オリンピック国内予選決勝でレイ・マーサーに敗れプロへ転向した。アマチュアボクシングでは222勝20敗の戦績〔。 1988年11月10日、プロデビュー戦。初回KO勝ち。 そこからタイトル戦は行わなかったものの28連勝(24KO)をマークし29戦目で世界挑戦となる。 1991年10月18日、アマチュア時代に1度敗れているレイ・マーサーに5回TKOで敗れる。 1993年6月7日、ジョージ・フォアマンに12R判定で勝利し、WBO世界ヘビー級タイトルを獲得。同年10月29日、2度目の防衛戦でマイケル・ベントに初回TKO負けを喫し、番狂わせで同王座を失った。 1995年6月10日、ドノバン・ラドックに6RTKOで勝利し、IBCヘビー級タイトルを獲得。 1995年10月7日、レノックス・ルイスに7回TKOで敗れる。 1996年2月10日、アーサー・ウェザーズとの試合の数時間前に健康検査でHIVの陽性反応を示したことが判明して試合中止となる。これによりマイク・タイソン戦を含む3試合を3800万ドルで締結していた契約も取り消しとなる〔。 1996年11月3日、HIVに関する規定が無かった日本でマーカス・ロードと対戦、1回TKO勝ちを収めた〔。 2007年2月22日、アリゾナ州で血液検査を受け合格し、ウェストバージニア州でボクサーライセンスの交付を受け10年3か月ぶりにボクシングに復帰を果たす。ウェストバージニア州チェスターで行われた4回戦でジョン・キャッスルと対戦し、2RTKOで勝利を収めた。 ウェストバージニア州の時と同じようにアリゾナ州で血液検査を受け、テキサス州でボクサーライセンスの交付申請書類を提出するが、テキサス州アスレチックコミッションは指定の施設で再度血液検査を行うよう指示、しかしモリソンは指定された施設で血液検査を受けること無く交付申請を取り下げた。後にモリソンの元マネージャーが2007年にアリゾナ州で行った血液検査は不正なもので2007年1月にHIVが検出されていたと暴露している。 2007年6月9日、アリゾナ州のアスレチックコミッション管轄外の地区で開催されたWFCで総合格闘技デビュー。ほぼキックボクシングルールとなる変則ルールでジョン・ストゥーバーと対戦し、TKO勝ちした。 2008年2月9日、血液検査の必要がないメキシコでボクシングの試合を行い、3回TKO勝ちを収めた。 2011年2月、モントリオールで試合を行おうと試みるがアスレチックコミッションにコミッションの認定機関で検査を受けるよう要求されると試合をキャンセルした。 2011年、体格を格好良く強く見せるために胸筋の移植手術を受けていたが移植部分が感染症にかかり摘出手術を受ける〔。 2013年8月23日、母親がモリソンはエイズの末期にあり、話すことが出来ず1年間寝たきりで既に肝臓が機能停止しており人工呼吸器の助けを借りてかろうじて生きながらえている状態であることを公表。他方、2年前にモリソンと結婚した妻は一貫してモリソンがエイズであることを否定しておりギランバレー症候群であるとしていた。 2013年9月1日、ネブラスカ州オマハの病院で死去。44歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミー・モリソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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