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トマス・マイケル・グラビン(Thomas Michael Glavine, 1966年3月25日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国マサチューセッツ州コンコード 出身。 == 経歴 == === アトランタ・ブレーブス === 高校時代はアイスホッケーと野球をプレイし、両方で抜群の成績を収めた。1984年のNHLドラフトではロサンゼルス・キングスから4巡目に指名を受けたが、同年6月のドラフトでアトランタ・ブレーブスから2巡目に指名を受け入団。8月17日にメジャーデビューを果たす。は先発ローテーションに定着したが、7勝17敗でリーグ最多の敗戦数を記録した。に14勝8敗、リーグ3位の4完封を記録し、飛躍の年となった。は10勝12敗に終わる。 は5月に6勝0敗でピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞し、オールスターゲームでは先発投手を務めた。シーズン通算で20勝11敗・防御率2.55を記録し、最多勝利のタイトルを獲得。チームの9年ぶり、前年地区最下位からの地区優勝に貢献した。ピッツバーグ・パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2敗を喫したが、チームは33年ぶり、アトランタ移転後初のリーグ優勝を果たす。ミネソタ・ツインズとのワールドシリーズでは1勝1敗だったが、3勝4敗で惜しくも敗退した。シーズン終了後初のサイ・ヤング賞を受賞した。は1954年、1955年のロビン・ロバーツ以来となる2年連続でオールスターゲームの先発投手に選ばれた〔が、初回1アウトから7連続安打を打たれるなど2回途中5失点の乱調だった。シーズンでは20勝8敗・防御率2.76、リーグ最多の5完封を記録し、2年連続の地区優勝に貢献。前年に続きピッツバーグ・パイレーツとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズではまたも2敗を喫したが、チームは2年連続のリーグ制覇。トロント・ブルージェイズとのワールドシリーズでは第1戦に先発し、4安打無四球1失点で完投勝利を挙げたが、チームは3勝4敗で敗退。サイ・ヤング賞の投票ではシカゴ・カブスのグレッグ・マダックスに次ぐ2位に入った。 にはマダックスが加入し、ジョン・スモルツ、スティーヴ・エイヴェリーと合わせて四天王と呼ばれた。22勝6敗・防御率3.20をマーク、1967年-1972年のファーガソン・ジェンキンス以来となる3年連続20勝以上を記録し、3年連続で最多勝利のタイトルを獲得した。8月に労使交渉が決裂し、選手側がストライキを決行。当時メジャーリーグ選手会会長だったグラビンはファンから怒りを買った〔。ストライキが解除されたは登板時にブーイングを浴びた。クリーヴランド・インディアンズとのワールドシリーズでは2戦2勝の活躍でシリーズMVPを受賞。38年ぶり、移転後初のワールドチャンピオンとなった〔1995 World Series - ATL vs. CLE - Baseball-Reference.com 2008年1月12日閲覧.〕。 は20勝6敗、キャリアハイの防御率2.47を記録し、4度目の最多勝を獲得。サイ・ヤング賞の投票では1位票がトレバー・ホフマンを下回ったが、獲得ポイントで上回り2度目の受賞を果たした。しかし、ストライクゾーンの改定が行われたはリーグ最多の259被安打を記録するなど苦しんだ〔。6月4日時点で3勝7敗・防御率5.00だったが、シーズン終盤に調子を取り戻し〔、最終的に14勝11敗・防御率4.12を記録した。 のスプリングトレーニングでマダックスからカット・ファストボールを教わった〔。迎えたシーズンは21勝9敗・防御率3.40で、5度目のシーズン20勝と最多勝を記録した。7月31日にはメジャー史上96人目となる通算200勝を達成している。6月26日にはナショナルリーグで5人目となる同一チームで2000奪三振を達成した。 は6月まで防御率1点台を維持するなど好調で、最終的に18勝10敗・防御率2.96を記録。それまで16シーズンをブレーブス一筋で過ごし、生え抜きの人気選手だったが、同年の新労使交渉の際に選手代表として矢面に立って来たグラビンに対し「強欲な選手の代表」と反感を持つ人もいた〔大冨真一郎 「回帰と旅立ち 再びのアトランタ」『月刊メジャー・リーグ』2008年1月号、ベースボールマガジン社、2008年、雑誌 08625-1、4 - 7項。〕。シーズン終了後フリーエージェントとなり4年契約を希望したが、球団はシーズン後半の不調を理由に拒否〔。12月5日にニューヨーク・メッツと3年総額3,500万ドル、4年目のオプションを含めると4,250万ドルで契約した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トム・グラビン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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