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トム・ブラウニング(Thomas Leo Browning , 1960年4月28日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。左投左打。 アメリカ合衆国ワイオミング州キャスパー出身。 == 人物・来歴 == 6月のドラフトでシンシナティ・レッズから9巡目に指名され、入団。 9月9日にメジャー初登板(初先発)を果たす。 ルーキーイヤーのには、38試合に登板し、20勝9敗、防御率3.55の素晴らしい成績をあげた。新人王に選ばれてもおかしくない成績であったが、110盗塁したビンス・コールマン(カージナルス)に譲った。また、同年9月11日にピート・ローズがタイ・カッブの史上最多安打記録を破った試合の先発投手であった。当時のレッズは4人の投手で先発ローテーションを回しており、大きな故障もなくコンスタントに投げたまでの7年間、毎年2桁勝利を記録し、先発登板数、投球回数等の記録はリーグトップクラスであった。 9月16日、本拠地リバーフロント・スタジアムでのロサンゼルス・ドジャース戦で、完全試合を達成。 102球中72球がストライクで、3ボールまでいったのは1人もなかった。この年、18勝5敗の好成績をあげる。 翌7月4日(アメリカ独立記念日)のフィラデルフィア・フィリーズ戦でも8回まで完全試合。 9回にディッキー・ソンにヒットを許し、MLB史上初の「完全試合2回達成」はならなかった。余談だが、1988年の完全試合の後のオフシーズンに、オーナーのマージ・ショットが、「もう一度完全試合を達成したら、ブラウニングの夫人に30万ドルのボーナスを与える」という契約条項を付け加えようとしたところ、リーグ事務局がこれを拒否していた。 には15勝を記録し、チームのリーグ優勝に貢献。自身唯一となるポストシーズン進出を果たす。 ピッツバーグ・パイレーツとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発、オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズでは第3戦に先発して、それぞれ勝利投手となり、チームのワールドチャンピオンに貢献した。 は前半10勝4敗の好成績で初のオールスター出場を果たすが、後半は負けが込み14勝14敗に終わる。 以後は故障との戦いとなる。7月7日のシカゴ・カブス戦(リグレー・フィールド)の試合中に、ユニフォーム姿でシェフィールド・アベニュー・ルーフトップ(スタンドの一角)に現れ、監督デーブ・ジョンソンから500ドルの罰金を科せられる。 5月9日のサンディエゴ・パドレス戦の試合中に腕を骨折。骨が折れる音がテレビや観客席にも聞こえるほどの大怪我で、以後シーズンを棒に振り、この年限りでレッズを解雇された。 翌にはカンザスシティ・ロイヤルズと契約するが、2試合に先発していずれも敗れ、シーズン途中で現役を引退した。 縁起を担いで、先発した日から次の先発までの間はひげを剃らなかった。また、登板日には赤い下着を身に付けていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トム・ブラウニング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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