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トヨタ7(トヨタセブン)は、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)のワークス・チームが使用したプロトタイプレーシングカー。「7」の名称は、当時の国際自動車連盟 (FIA) 車両規格グループ7(オープン2座席レーシングカー)に対応することによる。 1968年型(3リットルNA)、1969年型(5リットルNA)、1970年型(5リットルターボと5リットルNA)の3世代があり、いずれもヤマハ発動機やトヨタグループ企業との共同開発である。 == 背景 == トヨタは量産車と結びつくツーリングカーやGTカーのレースを重視していたため、本格的なレーシングカーの開発には消極的であった。しかし、メーカーの威信を賭けた年に一度の日本グランプリでは、1966年の第3回日本グランプリより国内外のプロトタイプレーシングカーが出場するようになった。トヨタはこのレースに市販車ベースの2000GTを投入したものの、プリンス・R380やポルシェ・906(カレラ6)といったプロトタイプには太刀打ちできなかった。草創期ともいうべきこの時期の国内のモータースポーツの盛り上がりや技術開発競争の激化にあわせ、トヨタは自社初のプロトタイプマシンとなるトヨタ7を開発することになる。 多くの市販車プロジェクトを抱えていたトヨタはレーシングカー開発に人員を割く余裕がなく〔檜垣、「カーグラフィック」2003年6月号、173頁。〕、2000GTの開発で協力関係にあったヤマハ発動機と再び組むことになった。トヨタ自工製品企画課のレース部門(のちの第7技術部)が基本構想を立案し、ヤマハ研究課が設計・製造を担当、トヨタ自工のワークスチーム(チーム・トヨタ)がレース活動を行うという体制であった〔。ヤマハは研究用にフォード・GT40を購入。1969年以降はヤマハが新設した袋井テストコースを拠点に開発が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トヨタ・7」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Toyota 7 」があります。 スポンサード リンク
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