|
エスティマ(''ESTIMA'' )は、トヨタ自動車、トヨタ車体が1990年から生産する大型ミニバンである。 初代はトヨタ自ら「天才タマゴ」というキャッチコピーを用いており、卵型の丸みを帯びた外観が印象的であり、ミニバンを代表する車種である。 == 歴史 == === 初代 === 1989年に幕張メッセで初開催された第28回東京モーターショーにコンセプトモデルとして出展。「動くカットモデル」の展示は大きな話題となった。それから約半年後の1990年5月12日に市販化され、その卵をイメージさせる未来的なスタイルで「高性能ニューコンセプトサルーン」として注目を集めた。従来のワンボックスカーでは前輪前・運転席下に位置しているエンジンを、横に75°寝かせることにより平床化に成功、前輪も運転席の前方に置くことにより、世界にも例を見ないアンダーフロア型ミッドシップレイアウトが採用され、ミッドシップ=2シーター、実用性に欠けるという常識を覆した。 元々のコンセプトは、当時トヨタが開発中であった2ストローク「S2」エンジンを搭載した新時代のMPV(マルチパーパスビークル)というものであり、このエンジンのおかげでエンジンルームをコンパクトにまとめられる目算であったが、排ガス対策の解決ができずエンジン開発に失敗したため、急遽ハイエースの部品を流用した一般的な直列4気筒2.4リットルエンジンを傾斜搭載することで、何とか日の目を見ることができた。 商用グレードを用意しない独立モデルであり、サスペンションも前軸はマクファーソンストラット式、後軸はダブルウィッシュボーン式の4輪独立懸架を採用。発売当時はモノグレード体系・7人乗りの1種類のみで、駆動方式はミッドシップと四輪駆動。サスペンションも前がストラット式サスペンション、後がダブルウィッシュボーン式サスペンションの4輪独立懸架を採用。搭載されたエンジンも2TZ-FE型・直列4気筒2438cc(135馬力)の1種類であった。 驚きを持って迎えられたエスティマではあったが、横幅が5ナンバー(小型乗用車)サイズに収まるキャブオーバー型ミニバンが主流だった(この当時は、1991年6月発売のバネットセレナが人気を博していた)、当時の日本では、対抗馬としてのエスティマは大柄で高価(296.5万円 - 335万円)すぎたため、また北米市場(アメリカ・カナダ)では2.4リットルエンジンが非力、ヨーロッパ市場では高価だという理由で支持を得られなかった。なお日本国外では「プレヴィア」(''Previa'' )として販売された。競合他車がV型6気筒エンジンを搭載する中で、エンジンパワーで劣るエスティマは価格に比して静粛性、ひいては高級感に劣ると評された。 翌1992年1月にはバネットセレナの対抗車種として、車幅および全長の短縮によって車体を5ナンバー枠に収め(ガソリン車に限ってはエンジン排気量が2,000ccを超えているため、3ナンバー車扱いとなる)、前後デザインの変更を施したエスティマエミーナ(トヨタ店取り扱い)とエスティマルシーダ(カローラ店取り扱い)を発売開始した。雑誌などでエスティマの幅を縮めたエミーナ、ルシーダと表現されているが、元々エスティマ開発当初から5ナンバー版のナローモデルは用意されていた。前述の日産バネットセレナの好調を見て、廉価グレードを増やし発売された。エスティマがシングルグレードであったのに対し、エミーナ/ルシーダは、ビニールシート仕様の廉価版から、エスティマと同様の豪華さの高級版まで幅広いグレード体制とした。 1993年2月、廉価グレードとして「X」を追加。トップグレードの「エスティマ」は発売当初からのように7人乗り・4輪独立懸架を採用しているが、こちらは8人乗り・リアサスペンションに4リンク式を採用したものとなった。また、1994年8月の改良ではかねてからの動力不足の解消のため、「エスティマ」のエンジンにスーパーチャージャーが装着(2TZ-FZE型、160馬力)された。だが、今度は燃費に関しての不満に悩まされることになる。1996年8月には、それまでの2グレード体系から、上から「G」「V」「X」となる。「V」は「X」のスーパーチャージャー付きモデルとして設定され、「G」は「エスティマ」と同様のものである。 1998年1月、マイナーチェンジを行い外装デザインを一新。また、新たにエアロパーツを装着したグレード「アエラス」を設定。全てのグレードでスーパーチャージャー付きとなった。しかし、1994年10月に登場し大ヒットを記録していたホンダ・オデッセイの存在により、低下した売り上げの回復には至らなかった〔オデッセイは高さ以外はエスティマとほぼ同じ大きさである。〕。この頃から街中の燃費は従来通りだが、高速走行などでは燃費向上が図られており、10年排気ガス規制に伴い排ガス記号もE-からGF-に切り替わっている。実際の販売状況は、エンジンルームの狭さゆえにエンジンの大排気量化や6気筒化に対応できず、オデッセイやエルグランドをはじめとするライバルがV型6気筒の3リットルや3.5リットルへと移行するなか苦戦を強いられた。なお、北米で販売されたモデルはこの代のみで、以降はカムリをベースとした、コンベンショナルなFFレイアウトのシエナがその座を引き継いでいる。 そもそもコンパクトな2ストロークエンジンを搭載した新時代のMPV(マルチパーパスビークル)というコンセプトの肝であるエンジンが完成しなかったために、エスティマは非常に不幸なモデルライフを送ることとなってしまった。販売台数を稼いでくれた子エスティマでは前席足元スペースが狭く、その乗り味も本来の親エスティマが持っていた大らかな乗り味ではなく、ミッドシップを強調するキビキビ感が強調された味付けになっていることから、開発陣が目指したいたものとは違う方向となり、戦略の転換を余儀なくされた。なお2代目、3代目にモデルチェンジされて以降もその際立ったスタイルからカスタムカーのベースとなることが多かった。特にセルシオ (2代目)のフロントを比較的容易に移植可能であり、この移植を行った車両は通称セルティマと呼ばれ、このこともカスタムのベースとして人気を博した要因と言える。また、大らかな乗り味と、バランスの良いハンドリング、ミニバンを忘れさせるような運転のしやすさから、代わりになるクルマが無く、中々手放さないオーナーが多いのも事実である。 ファイル:Toyota Estima 4WD 001.JPG|初代エスティマ(前期型・リア) ファイル:Toyota Previa rear 20071015.jpg|初代エスティマ輸出仕様(前期型・リア) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トヨタ・エスティマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|