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トライバルセンプーは、日本のアングロアラブ競走馬。 == 来歴 == 競走成績も立派だが、それ以上に種牡馬として著名馬を多数輩出したことで知られる。馬主の大野雅子は、歌手の北島三郎夫人である。主戦騎手はのちの「7000勝ジョッキー」・佐々木竹見。なお、競走生活は1980年のみであるため、以下、年は省略する。 1月9日の川崎競馬場におけるデビュー戦、さらに第2戦と連勝したものの、3戦目の春蘭特別(大井競馬場、以下大井)で、宿敵のリツシヨウマロツトに敗戦。その後、4月25日に行われた南関東アラブ4歳(数え年)三冠初戦の千鳥賞(大井)でも2着だったものの、リツシヨウに2馬身半差をつけられ完敗した。その後、5月27日に園田競馬場で行われた第19回楠賞全日本アラブ優駿に出走。宿敵・リツシヨウ不在のメンバー構成だったが、スタートからハナを切ってそのまま2300メートルを逃げ切った。ちなみにこの日、北島三郎も馬主の「代理人」として園田に来場していた。 しかし、続く6月30日に行われたアラブダービー(大井)では三度リツシヨウに敗れ、リツシヨウに二冠を許したばかりか、自身は10着と大敗した。だが、10月3日に行われたアラブ王冠賞(大井)では逃げ切って、リツシヨウに初めて勝利し、また三冠を阻止した。その後、11月15日に行われた準重賞の勝島賞(大井)を勝ち、12月12日の全日本アラブ大賞典(大井)へと挑んだが、2周目の3角付近で逃げ脚が鈍って後退し、結局12着と大敗した。そして、このレースをもって現役を引退した。 引退後は種牡馬となり、1995年から1997年までアングロアラブのリーディングサイアーとなったが、2004年12月15日付で転売不明となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トライバルセンプー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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