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トラジャ族(Toraja)は、インドネシアのスラウェシ島にある南スラウェシ州および西スラウェシ州の山間地帯に住むマレー系の先住少数民族。総人口約65万人のうち約45万人はタナ・トラジャ(en)県(en)(「トラジャの地」の意)に居住している〔。トラジャ族のほとんどはキリスト教を信奉し、イスラム教と「アルク」(aluk‐「道(the way)」の意)と呼ばれる土着のアニミズムが続く。インドネシア政府は、このアニミズム信仰をアルクトドロ教(Aluk To Dolo‐「祖法‐Way of the Ancestors」の意)と定義している。彼らは、その特徴的な家屋や壮大な死葬儀式だけでなく、コーヒーのブランドにも使われる民族名からも知られている。 ==概要== トラジャ族は、スラウェシ島中央部および南部の山岳地帯に居住する、トラジャ語系統の言語を話す部族である。境界が明確な村々に分散して住み、その数は20を越えた。それぞれの村は独立しており、時に敵対し戦争を行うこともあった〔『世界の民族10‐東南アジア島嶼部』、平凡社、1979年〕。 「トラジャ」という単語は、ブギス族の言語で「高地の人々」を意味する「ト・リアジャ」(to riaja)を元にしており、オランダ領東インド政府が1909年にこの民族を「トラジャ」と名づけたことが由来となっている〔。トラジャ族は、複雑で壮大な葬儀の形式や、岩の断崖へ死者を埋葬する習慣、トンコナン(tongkonan)の名で知られる、尖った巨大な屋根を備えた伝統的な家屋の様式、カラフルな木彫り細工などで知られる。彼らの葬儀は、通常規模でも数百人の参列者が出席し、数日間続く社会的に重要な行事とされている。 20世紀以前、トラジャ族は自治権を持ち、アニミズムを信奉し、外界とは隔離された村で生きていた。1900年代初頭、オランダ人宣教師がキリスト経の布教目的に村を訪れたのが、外来者との接触を持った最初の例となった。1970年代には、タナ・トラジャ県はインドネシア観光の目玉となり、村は外界へ開かれた。こうして村は、旅行の企画に組み込まれたり、文化人類学者たちの研究材料になるなど、その環境は大きく変化した。1990年代までにタナ・トラジャ県観光はピークに達し、トラジャ族の社会は激変した。アルクと呼ばれるアニミズム信仰に基づく共同社会や習慣を基盤とした農村社会から、キリスト教的共同体へと変貌し、伝統の社会構成にも変化が訪れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トラジャ族」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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