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トラスタマラ家(スペイン語:Casa de Trastámara)は、イベリア半島を発祥とする王家。14世紀から16世紀にかけて、イベリア半島(カスティーリャ王国、アラゴン王国、ナバラ王国など)、南イタリア(シチリア王国、ナポリ王国)を支配した。 == 概要 == 家名のトラスタマラは、始祖であるカスティーリャ王エンリケ2世(生没年:1333年 - 1379年)が即位前にトラスタマラ伯であったことに由来する。エンリケ2世はブルゴーニュ(イヴレーア)家のカスティーリャ王アルフォンソ11世の庶子であったが、第一次カスティーリャ継承戦争において嫡子である異母弟ペドロ1世を倒し、1369年に王位に就いた。カスティーリャ王位はその後フアン1世(1358年 - 1390年)からエンリケ3世(1379年 - 1406年)、そしてその子孫へと継承された。 一方、エンリケ3世の弟フェルナンド1世(1380年 - 1416年)は、母方の伯父であるバルセロナ家のマルティン1世に嗣子がなかったことから、1412年にアラゴン王に選ばれ、併せてシチリア王位も継承した。その子アルフォンソ5世(1396年 - 1458年)はナポリ王国を1442年に獲得した。アルフォンソ5世には嫡子がなかったため、アラゴンとシチリアの王位は弟フアン2世(1397年 - 1479年)が継承したが、ナポリの王位は庶子フェルディナンド1世(1423年 - 1494年)の家系に継承された。 フアン2世はまた、これに先立つ1425年に妃ブランカ1世がナバラ王位を継承したことで、自身もナバラ王となった。しかし、2人の末娘レオノール(1426年 - 1479年)の死後、ナバラ王位は一旦トラスタマラ家から離れた。 これらの諸国は、カトリック両王と称されたカスティーリャ女王イサベル1世(1451年 - 1504年)とアラゴン王フェルナンド2世(1452年 - 1516年)の結婚、およびフェルナンド2世の征服によって大部分が統合された。また、両王の下でグラナダ王国が征服され、レコンキスタが終焉を迎えた。このうちイベリア半島の諸国から、今日に至るスペイン王国が形成された。一方、南イタリアはフェルナンド2世以降、ナポレオン戦争の時代を除いて一人の君主の下に治められるようになった。そして海外植民地や南イタリアの諸国も含めて、両王の娘フアナ(1479年 - 1555年)の長男であるハプスブルク家のカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)に受け継がれ、スペイン・ハプスブルク朝が成立する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トラスタマラ家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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