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マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス(ラテン語:〔同時代には “MARCVS VLPIVS NERVA TRAIANVS AVGVSTVS” と綴られたと考えられる。〕、53年9月18日 - 117年8月9日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:98年 - 117年)で、ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝である。文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。 イタリア本土出身者でない、初の属州生まれの皇帝でもある。それまでは、首都ローマを含むイタリア本土出身者の最上流貴族しか皇帝に選ばれたことはなかった。 トラヤヌスは同時代から現在に至るまで優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝であり、後世の君主たちからも讃えられた。古代末期から中世にかけてのキリスト教史観でもこの名声は維持され、近代においてもギボンが「五賢帝」の一人として彼を賞賛している。 == 生涯 == === 生い立ち === トラヤヌスは53年9月18日、ヒスパニア・バエティカ属州の植民市イタリカに住む元老院議員マルクス・ウルピウス・トラヤヌス(同名)の子として生まれた〔Syme, Tacitus, 30-44; PIR Vlpivs 575〕。南ヒスパニアと呼ばれ、現在のアンダルシア地方とほぼ重なる同地は、全属州でも最もローマ化の進んだ地域であった。中でもイタリカ市は特にその傾向が強く、イタリア本土からの移民者が主体の都市であった。 トラヤヌス家もイタリア本土に祖先を持つ由緒正しい「古きローマ人」の家系であったが、「属州初の皇帝」という表現によって「属州民の血を引いている」と誤解される場合も多い〔Arnold Blumberg, ''Great Leaders, Great Tyrants: Contemporary Views of World Rulers who Made History'', 1995, Greenwood Publishing Group, p.315.〕。なお、トラヤヌスはパトリキでもなかったが、これは初代皇帝アウグストゥスも同様である。 トラヤヌス家はウルピウス氏族に属する一族で、父は先に述べたとおり元老院議席を持つ上流貴族である。トラヤヌス自身も後にウルピウス氏族が誇りとする祖先の一人となった。イタリカ市はウルピウス氏族にとってバエティカにおける根拠地として機能していた〔。彼らは紀元前3世紀頃からイタリカへの入植を開始したが、これはイタリア本土出身者が主導権を握る都市であることの証明でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トラヤヌス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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