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トラヴィック(''TRAVIQ'' )は、ゼネラルモーターズ(GM)傘下のオペルが開発し、GMのタイ工場で生産され、スバルブランドを展開する富士重工業が日本国内で販売していた7人乗りのミニバンである。 == 概要 == 2001年8月発売。スバル初のいわゆるミニバンであるが、同社は1983年に軽商用車サンバーをベースに開発したリッターカークラスのワンボックスカー「ドミンゴ」を発売しており、3列シート車としては初ではない。 2001年当時、GMと資本提携していた富士重工業が、欧州におけるGMの子会社であったドイツのオペルが開発したミニバン、ザフィーラのOEM供給を受けたものである。ただし、生産されたのは、ドイツではなくGMのタイ工場であり、GMジャパンを通じて輸入され、スバルブランド車として販売された。 ステアリング位置は右のみ。エンジンは当時日本に輸入されていたザフィーラよりも大きな2,198ccエンジンを搭載。また、日本市場導入にあたって、オーストラリア、ホールデン社からテストコースなどの支援をうけてスバル実験部隊によって事前に車輌特性などが確認された。 トラヴィック誕生の経緯は、まず、GMの戦略として、GMのタイ工場で生産されるザフィーラを安い価格でアジアを中心に展開するというアイデアがあり、1999年に資本提携をした富士重工業に白羽の矢を立てた。また、ミニバンは日本の市場では、既にファミリーカーの主流となっていたが、当時のスバルのラインナップ上では空白であった。この計画ではその空白を短期間で、しかも比較的少ない費用で埋める事ができると考えられ、富士重工業にとっても魅力のあるものであると思われた〔。 基本的には同じ車でありながら、トラヴィックがザフィーラよりもかなり安価に販売できたのは、生産コストの安いタイ製であったからであると言われている。しかし、内容的には大きなエンジンやより充実した装備品(一部グレード以外ではサイドエアバッグの不装備など安全装備はやや落ちる部分もある)など、むしろ高度な部分もあった。また、スバル側でフルエアロパーツ・16インチアルミホイールなども企画された。結果、ザフィーラは日本市場で極度の売り上げ不振に陥り、オペル自体の日本でのブランドイメージ低下の遠因を作ってしまった。 トラヴィックの大きな特徴のひとつは、ドイツのアウトバーンを7人フル乗車状態で時速170km/hで安全に巡航・長距離移動ができるように設計されていることで、全車トラクションコントロール、EBD機能付きABS、ドアロック自動解除機能を装備するなど、その安全性や、高速走行でのスタビリティは高く、当時の日本の同クラスの車種とは次元の違う性能を持っていたといえる。これは元となったザフィーラの設計において、主に操縦安定性を高めるためのサスペンションチューニングなどを監修、それらを徹底的に追求した結果であるとも言われている。 多くの日本車で見られた内装や仕上げの過剰品質、使用頻度の低いシートアレンジを廃し、走行性能や安全性など、自動車としての基本的な機能を重視した点は興味深く、発売当初は多くの自動車評論家から高い評価を与えられていた。 ダイヤル式無段階調整式リクライニング機構は、日本車では一般的でなく、使いにくいと不評であったが、微調整出来る点では優れており、チャイルドシート使用時などの安全性には寄与していた。 2004年11月、GMタイ工場でのザフィーラ生産中止に伴い、日本でもトラヴィックの販売を終了(在庫車の販売は継続)。販売累計台数はおよそ12,000台であった。これにより、スバルの日本国内のラインナップからは2008年6月に独自開発のオリジナルミニバン「エクシーガ」(2012年7月のE型から「ぶつからないミニバン!?」というキャッチコピーを採用。)を発売するまでの間、いわゆるミニバンが無くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スバル・トラヴィック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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