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トレントンの戦い : ミニ英和和英辞書
トレントンの戦い[とれんとんのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

トレントンの戦い : ウィキペディア日本語版
トレントンの戦い[とれんとんのたたかい]

トレントンの戦い(トレントンのたたかい、)はアメリカ独立戦争中の1776年12月26日ニュージャージー州トレントンで起こったアメリカ大陸軍と主にドイツ人傭兵部隊で構成されるイギリス軍との戦いである。デラウェア川の向こうに撤退していたジョージ・ワシントン将軍の率いる大陸軍が、悪天候の中危険を伴う渡河をして、トレントンに駐屯していたドイツ人傭兵部隊にその主力をぶつけることができた。戦闘そのものは短時間で終わり、大陸軍がほとんど損失を受けなかったのに対し、ドイツ人傭兵部隊のほぼ全軍が捕獲された。この戦闘の結果、萎縮していた大陸軍の士気を上げ、再徴兵もやりやすくなった。
大陸軍はそれまでにニューヨークで幾度も敗北を味わい、ニュージャージーを抜けてペンシルベニアまでの撤退を余儀なくされていた。軍隊の士気は低く、これを救うためには年が暮れるまでに積極的な行動をする必要性を感じた総司令官のワシントンは、クリスマスの夜にデラウェア川を渡り、ドイツ人傭兵部隊を包囲する作戦を案出した。
川は氷のような冷たさであり、渡河は危険なものだった。3つに分けた部隊のうち2つは渡河できず、ワシントンはその2,400名の部隊だけで攻撃に向かうことになった。大陸軍は渡河地点から9マイル (14 km) 南に行軍してトレントンに向かった。ドイツ人傭兵部隊は大陸軍の攻撃からは安全だと考えてその守りを緩め、夜明けの歩哨すら置いていなかった。クリスマスの大騒ぎの後で眠りに就いたままだった。ワシントンは油断しているドイツ人傭兵部隊に迫り、抵抗できるまえに捕捉した。1,500名いた守備隊のほぼ3分の2が捕まり、幾らかの兵士がアッサンピンク・クリークを渡って逃げ出した。
この戦闘そのものは小規模だったが、その影響は植民地中で大きなものになった。1週間前は革命そのものが疑われ、軍隊は崩壊の瀬戸際にあるように見えた。しかし、この戦いでの勝利により、兵士達は軍隊に留まることに合意し、新兵も加わることになった。
== 背景 ==
この戦闘の前まで、アメリカの士気は極めて低かった。大陸軍はイギリス軍とドイツ人傭兵部隊の連合にニューヨークから追い出され、ニュージャージーを越えての撤退を余儀なくされていた。ロングアイランドの戦いの時に居た大陸軍兵士の90%は立ち去った。独立の大義が失われたと感じた者は脱走した。大陸軍総司令官のワシントンは幾らかの疑念を表明していた。ワシントンはバージニアの従兄弟に宛てて、「獲物は直ぐ近くにいると思う」と書き送った〔。
ニュージャージー西部の当時は小さな町だったトレントンはヨハン・ラール大佐率いるドイツ人傭兵部隊3個連隊、その数1,400名に占拠されていた。 ワシントン軍は2,400名だった。ナサニエル・グリーン少将、ヘンリー・ノックス准将およびジョン・サリバン少将の補佐を受けていた〔Stanhope p.129〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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