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トレント・アシッド(Trent Acid,1980年11月12日 ― 2010年6月18日)は、1990年代から2000年代に掛けて活動した、アメリカ合衆国出身のプロレスラー。 身長180cm、体重89kg。本名マイケル・ヴァーディ(Michael Verdi)。〔ケージマッチ:トレント・アシッド 〕 『”ホーリー”・トレント・アシッド』というギミックを備え持ちつつ、コンバット・ゾーン・レスリング(CZW)やリング・オブ・オーナー(ROH)やプロレスリング・アンプラグドを主とする数多のプロレス団体を舞台に活動した。〔オンライン・ワールド・オブ・レスリング:トレント・アシッド 〕 == 来歴 == ペンシルベニア州フィラデルフィアの南部にあたるサウス・フィラデルフィア―通称サウス・フィリーに生を享け〔、幼年期から祖母に連れられてプロレスの試合を毎週のように観にいっていた。〔サザン・カリフォルニア・プロ・レスリングによるインタビュー@2002年6月22日 〕 いつしか様々なプロレスラー養成所にてプロレスを学んだのちに、1995年5月20日にプロレスラーとしてデビュー。〔 1999年頃からCZWのマットを舞台に活動し始めた。〔 やがてCZWと大日本プロレスとの抗争の時代が幕を開けると、いわゆるCZW軍の一員として日本の地を踏み、大日本プロレスの巡業に伴い愛知県、静岡県、千葉県、東京都、神奈川県、埼玉県、三重県などを巡行。この時期に対戦した相手には、ザンディグ、『神風』、金村キンタロー、関本大介、ジョニー・カジミア、葛西純、ジ・ウィンガー、ジャスティス・ペイン、ラッカス、MEN'Sテイオー、ファンタスティック、ネイト・ヘイトリッド、伊東竜二、保坂秀樹が含まれ、タッグを組んだ相手には、ワイフビーター、マッドマン・ポンド、ネイト・ヘイトリッド、山川竜司、ニック・ゲージ、ジョニー・カジミア、ジ・ウィンガー、関本大介、ファンタスティックが含まれた。〔大日本プロレス>スケジュール&試合結果:8月16日(木) 名古屋市体育館大会 | 8月11日(土) ツインメッセ静岡大会 | 2月23日(土) 千葉・市原臨海体育館大会 | 11月25日(日) 後楽園ホール大会 | 8月19日(日) 横浜文化体育館大会 | 11月29日(木) 小田原アリーナ サブアリーナ大会 | 2月25日(月) 行田市体育館大会 | 3月1日(金) アクトシティ浜松大会 | 3月3日(日) 横浜文化体育館大会 | 2月28日(木) 千葉・ひたちなか市松戸体育館大会 | 8月18日(土) アクトシティ浜松大会 | 11月27日(火) キラメッセぬまづ大会 | 12月2日(日) 横浜アリーナ大会 | 8月12日(日) 四日市オーストラリア記念館大会 〕 2000年の6月に開かれたCZWの大会『バウンド・フォー・グローリー5』にてCZW世界ジュニアヘビー級王座を奪取。その翌2001年に横浜を舞台にこの王座を再び獲得したうえ、フィラデルフィアに開かれたCZWの『ケージ・オブ・デス3』にあっては、自身3度目であったCZW世界ジュニアヘビー級王座を―同時に大日本プロレスの同王座を獲得。〔コンバット・ゾーン・レスリング:タイトルの歴史 〕〔BJW認定ジュニアヘビー級王座 〕 2001年のCZWにあっては、ネイト・ヘイトリッド、ニック・モンド、ニック・ゲージ、ジョニー・カジミア、ジャスティス・ペイン、ロボ、・・・こうした面々とともに『ヘイト・クラブ』(H8 Club)という連合を結成し、更にはジョン・ザンディグ、ニック・モンド、ワイフビーター、Zバール、葛西純という面々とともに『ビッグ・ディールズ』(Big Dealz)という連合を組んでいた。〔レスリングゾーン.ru:トレント・アシッド 〕 2002年には自身2度目の出場となったCZWベスト・オブ・ザ・ベストの第2回を制覇し〔ベスト・オブ・ザ・ベストの大会群の図録 〕、更にその翌2003年にあってはCZWアイアンマン王座をも戴冠するに至った。〔 いつしかジョニー・カジミアとともに組んだ『ザ・バックシート・ボーイズ』というタッグの活躍は目覚しく、1999年におけるイースト・コースト・レスリング・アソシエーションのタッグ王座の獲得〔ECWAタッグ王座の歴史 〕に始まり、2000年から2003年に掛けてCZWのタッグ王座を4度にわたって獲得したうえ〔、2003年の9月に至ってROHのタッグ王座をも獲得することとなった。〔ROHタッグ王座の歴史 〕 2004年を通してCZWとROHとを主戦場に活動し、サンジェイ・ダット、ジミー・ジェイコブス、アレックス・シェリー、テディ・ハート、メサイア、サブゥー、アダム・フラッシュ、ロドリック・ストロング、MASADA、コルト・カバーナ、マット・サイダル、サモア・ジョー、ジャック・エバンスなどの面々を相手に激戦を繰り広げ、それから2005年〜2006年〜2007年〜2008年〜2009年と、プロレスリング・アンプラグドやジャージー・オール・プロレスリングを含む数多のプロレス団体のマットに活躍した。〔 2010年にはおおよそ10年ぶりの大日本プロレスのマットへの参戦が予定されたものの、健康上の問題に係る長期の治療の必要という理由で頓挫するに至り、そのまま実現せずに終わった。〔大日本プロレス:5/4 設立15周年記念大会 アシッド欠場 2010年4月24日〕 そして同年の6月18日の朝―自宅で死亡している姿が母親によって発見された。29歳であった。死因は特定されていない。長年の相棒であったジョニー・カジミアがフェイスブックで喪に服す様が伝えられた。〔その死を伝えるPWトーチの第一報 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トレント・アシッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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