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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トンチャイ・ウィニッチャクーン(名字はウィニチャクーン、ウィニッチャクンとも〔名字は表記揺れがある。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』白石隆・白石さや訳、書籍工房早山、2007年 ISBN 9784886115089 では「ウィニチャクーン」、池端 雪浦ほか編集委員編『岩波講座 東南アジア史 別巻 東南アジア史研究案内』岩波書店、2003年、ISBN 9784000110709のpp.86-92の飯島明子による の書評では「ウィニッチャクーン」、トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイ――国民国家誕生の歴史』石井米雄訳、明石書店〈明石ライブラリー〉、2003年 ISBN 9784750318196では「ウィニッチャクン」となっている。このため、本項目では原音に一番近い、ウィニッチャクーンを採用した。〕、, )はタイ人の歴史学者。ウィスコンシン大学マディソン校の教授。タイのナショナリズムの歴史に大きな衝撃を与えた。 ==略歴== バンコク生まれバンコク育ち。中国系である。いわゆる血の日曜日当時、タンマサート大学学生自治会副委員長として反政府デモに荷担し、学生運動に参加したが、その後に成立した軍事政権によって逮捕され2年間の獄中生活を経験した〔トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイ――国民国家誕生の歴史』石井米雄訳、明石書店〈明石ライブラリー〉、2003年 p.321〕。その後、1978年9月16日の恩赦により釈放され、タンマサート大学に復学〔トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイ――国民国家誕生の歴史』石井米雄訳、明石書店〈明石ライブラリー〉、2003年 pp.321-322〕。1938年B.A.を取得のち、オーストラリアに渡り1984年にシドニー大学でM.A.を取得、その後、Ph.D.を取得した〔THONGCHAI WINICHAKUL - Thongchai Winichakul Professor 〕。その後、渡米、ウィスコンシン大学で教鞭をとっている。彼の博士論文にして代表作である はタイの歴史編纂のセオリーに疑問を投げかけた。また、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の改訂に影響を与えた〔ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』白石隆・白石さや訳、書籍工房早山、2007年、pp.13-14〕。さらに、この は石井米雄により『地図がつくったタイ』として翻訳し刊行されアジア・太平洋賞を受賞した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トンチャイ・ウィニッチャクーン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thongchai Winichakul 」があります。 スポンサード リンク
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