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トンビナイ・セチェン(Tumbinai Sečen)は、モンゴル部ボルジギン氏族のカイドゥの長子バイ・シンコル・ドクシンの子で、カブル・カンの父。『集史』ではトゥーメネ・ハーン(Tūmene Xān)と表記。「セチェン」とはモンゴル語で「賢者」を意味する。〔村上 1970,p.55〕 ==生涯== カイドゥの長子バイ・シンコル・ドクシンの子として生まれる。〔村上 1970,p.46〕 1084年、トンビナイ・セチェンは遼帝国に使者を派遣し、「萌古国」として朝貢した。〔宮脇 2002,p.66〕 トンビナイ・セチェンが死ぬと、6男のカブル・カンが後を継いだ。〔佐口 1968,p.26〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トンビナイ・セチェン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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