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タークシン(Taksin、1734年4月17日 - 1782年4月6日)はタイのトンブリー朝の王。華僑としてタイの君主となった。中国名は鄭信。 同じ中国系タイ人であるタクシン・チナワットら「タクシン」名の人物と混同されるが、タークシン(ตากสิน)とタクシン(ทักษิน; Thaksin)はタイ語の綴りが異なり、別の名前である。 == 生涯 == 潮州出身の華人で、賭博場から税を徴収する役人であった鄭鏞の子として生まれ、父から鄭信と名付けられた。幼い時にタイ族のプラヤー・チャックリー(ラーマ1世とは別の人)という官吏の元に養子に出され、養父からは「シン(宝、潮州語)」と名づけられる。5歳の時に寺に預けられて13歳まで勉学に励み、やがてアユタヤー王朝に仕官した。宮内の外国人の学者達に積極的に教えを請うなど、宮殿内でも学問に励んでいたという。21歳でタイ族の伝統に則って出家し、24歳で再び還俗し、王の小姓となった。それからターク国の監察官に任命されたが、任務中にターク国主が死んだ事から自身が新たなターク国主となった。この時、ターク国主の称号に本名の「シン」が付けられ彼の通用名「タークシン」となった。 アユタヤにビルマ軍が侵入したとき、タークシンは新たな国主の任務に就くためカンペーンペットに赴こうとしていたが、急遽防衛に加わった。しかし、アユタヤー王、エーカタット王が大砲の音に鼓膜が破れるのを恐れて「大砲は朕の許可を得てから撃て」と言ったにも関わらず、タークシンは無断で撃ったため罪に問われ、執行猶予にはなったものの弱々しい王に嫌気がさしてラヨーンに出奔した。タークシンはラヨーンで兵を挙げると、反対勢力のチャンタブリーを制圧した後、潮州系の華人をかき集めてチャオプラヤー川を遡りアユタヤに向かった。しかしアユタヤはすでに廃墟になっていたため、再び下流に下り、1767年(タイ仏歴2310年)、トンブリーに王朝を建てた。これがトンブリー王朝である。 タークシンは文武両道の王で、アユタヤ朝滅亡後、敵対勢力にはピサヌローク国主、ナコーンシータンマラート国主、ピマーイ国主、プラ・ファーンなどがいたが次々に討伐し、北部ランナー国を属国とした。さらに、アユタヤ朝時代の属国であったカンボジア、ラオスをも次々に回復している。即位中15年の多くを、戦争に費やさなければならなかったタークシン王の重要な将軍として活躍したのがチャオプラヤー・チャックリー(後のラーマ1世)である。一方で、タークシンはアユタヤー王朝末期に散逸した文献の収集にも力を入れ、再編集した。タークシンの編纂したラーマキエンは今でも、数あるラーマキエン本の中でもよいものとされる。また、三島由紀夫の小説でも有名な暁の寺を修復し仏教保護にも力を入れた。 しかし、タークシンは自分が中国系の血を引いていることを忌み嫌い、アユタヤ王朝の血を引いていないことに強いコンプレックスを抱いていた。それによって晩年は精神錯乱をきたしたとされる。例えばある日タークシンは突如「朕は阿羅漢の境地に達した」と言いだし、僧侶に自分を礼拝するよう命じたことがあった。タイの仏教では民間人が阿羅漢に達しても、僧がその人に礼拝することは罪とされるので数名の高僧が礼拝を断ったが、断った僧は捕えられて僧籍を剥奪された上、鞭打ちの刑に処された。このときの僧の慟哭はトンブリー中に響きわたったと言われている。この事件は国民に衝撃を与え、各地の勢力が再び反抗の兆しを見せ始めた。また鉱山の税務官が職権を乱用したことも反乱の原因となった。タークシン王は家来のプラヤー・サンに反乱を鎮圧するように命じたが、プラヤー・サンは逆に反乱者を集めトンブリーに攻め入り、王を強制的に出家させて自らは摂政の位に就いた。王位もねらっていたが、そのときカンボジア遠征に行っていた、チャオプラヤー・マハーカサット・スック(上の段落のチャオプラヤー・チャックリー、もしくはラーマ1世)がトンブリーに戻ってきた。民衆はチャオプラヤー・マハーカサット・スックにタークシンの処刑を求めた。そして1782年(タイ仏歴2325年)4月6日、チャオプラヤー・マハーカサット・スックはタークシンの処刑を指令し、同日に王位に就きチャックリー王朝を創設した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タークシン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Taksin 」があります。 スポンサード リンク
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