|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トーコーチェーンは、かつて宮城県仙台市を中心に展開していたスーパーチェーンである。 == 歴史 == 1957年(昭和32年)に東一番丁に丸光が丸光食品センターを設立して食料品などの販売を行ったのが始まりである。 1958年(昭和33年)7月に東一番丁の“東”と丸光の“光”をとって東光に名称変更し〔、同じ丸光の関連企業が保有する仙台駅前の第一ビル〔現在は再開発されて仙台マークワンとなっている。〕内に開いた第一ビル店を開業した後〔、1963年(昭和38年)6月にはセルフサービス方式に切替える〔と共に社名を「トーコー」と改め〔、1964年(昭和39年)4月に長町店を開設したことで複数店舗からなるチェーン店への第一歩を踏み出し〔、当時S.S.D.S(Self Service Department Store)と呼ばれていた総合スーパーチェーンの展開を目指した〔。 1966年(昭和41年)12月に北仙台店を開設して仙台市内の主要3駅周辺への展開を実現し、1967年(昭和42年)12月に仙台駅前の青葉通沿いに東五番丁店、1968年(昭和43年)7月に連坊小路に連坊店〔と仙台市内でチェーン展開を進め、1969年(昭和44年)8月には塩竈市新富町に塩釜店を開設して〔市外へも進出するなど仙台周辺でのチェーン展開を進める。 総合スーパーの業態に進出したのと同じ1963年(昭和38年)に長崎屋仙台店が進出していたものの、当初は全国チェーンの総合スーパーの進出は他になかったため、全盛期にはエンドーチェーンと共に仙台商圏の一翼を担い、後の旗艦店である鶴ケ谷店なども出店した。 しかし1975年(昭和50年)に入ると、ジャスコとダイエー〔を皮切りに全国チェーンの進出が始まり、1988年(昭和63年)には仙台市泉区にダイエー泉店が〔、1992年(平成4年)にはイトーヨーカドー仙台泉店がそれぞれ進出するなど、郊外への全国チェーンの進出が始まり競争が激化。 これに地場資本のライバルだったエンドーチェーンが、1991年(平成3年)2月に西友と業務提携し、以後システムの切替えや仕入先の見直し、更には不採算店の閉鎖や改装などのリストラによる更なる競争激化により採算が悪化。 1995年(平成7年)6月30日に有利子負債約25.7億円を抱えて仙台地方裁判所に自己破産を申請し倒産した。最後まで営業していた店舗は鶴ケ谷店と長町店の2店のみだった〔。 チェーン本部は仙台市宮城野区鶴ケ谷2-8にあった〔『河北年鑑 1990年版』 河北新報社、1990年。〕。(鶴ケ谷店) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トーコーチェーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|