翻訳と辞書
Words near each other
・ トーマス・アクイナス
・ トーマス・アダムス
・ トーマス・アダムス (発明家)
・ トーマス・アダムス (都市計画家)
・ トーマス・アダムズ
・ トーマス・アダメク
・ トーマス・アデス
・ トーマス・アトウッド
・ トーマス・アトウッド (作曲家)
・ トーマス・アトウッド・ウォルミズリー
トーマス・アプト
・ トーマス・アラナ
・ トーマス・アルスゴール
・ トーマス・アルバ・エジソン
・ トーマス・アルバ・エディスン
・ トーマス・アルバ・エディソン
・ トーマス・アルバート・グラバー
・ トーマス・アルフレッドソン
・ トーマス・アルメイダ
・ トーマス・アルヴァ・エジソン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

トーマス・アプト : ミニ英和和英辞書
トーマス・アプト[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トーマス・アプト ( リダイレクト:トマス・アプト ) : ウィキペディア日本語版
トマス・アプト[ちょうおん]

トマス・アプトThomas Abbt, 1738年11月25日 - 1766年11月3日)はドイツ哲学者。ドイツ啓蒙時代の代表的な通俗哲学者として知られる。また同時代の哲学者・ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーとともに歴史哲学の成立にも大きな役割を果たした。
== 生涯 ==
ウルムかつら職人の息子として生まれる。ウルムのギムナジウムで学んだ後、1756年からハレ大学数学哲学を学ぶ。1760年フランクフルト・アン・デア・オーダーで哲学の助教授になる。1761年の秋にリンテルンにおいて数学の正教授として招かれた。1761年から1762年にはベルリンにおいて哲学・数学の教授になる。ベルリンに滞在時に、ベルリン水曜協会(:de:Berliner Mittwochsgesellschaft)で、作家のクリストフ・フリードリヒ・ニコライを知る。また哲学者のモーゼス・メンデルスゾーンとも親しくなった。またトマス・アプトは「''B''」という仮名の元にレッシングも携わった「最新の文学に関する書簡」(''Briefe, die neueste Litteratur betreffend'')の共同執筆者となった。この書簡はベルリンにおいて1733年から1765年まで24巻が出された。その後は9ヶ月もの間旅に出て、フランスの哲学者のヴォルテールと会った。
1765年にトマス・アプトにマクデブルク大学から教職の座とビュッケブルクシャウムブルク=リッペ伯国宮廷での要職の話がほぼ同時にくる。トマス・アプトはビュッケブルクでの仕事を選んだが、1766年当地で疾患により死去。27歳であった。
category:ドイツの哲学者



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トマス・アプト」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thomas Abbt 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.