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カール・ヨハン・トーマス・エンクビスト(Karl Johan Thomas Enqvist, 1974年3月13日 - )は、スウェーデン・ストックホルム出身の男子プロテニス選手。1999年の全豪オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは4位。ATPツアーでシングルス19勝、ダブルス1勝を挙げた。身長190cm、体重88kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。「トーマス・エンクイスト」と表記されることも多い。 == 来歴 == 1991年全豪オープンジュニアシングルスと1991年ウィンブルドン選手権ジュニアシングルスに優勝し同年にプロに転向。4大大会では1992年全豪オープンで初出場した。1992年10月にイタリア・ボルツァノ大会でツアー初優勝。1995年に世界ランキングを60位から7位に上げ、ATPツアーの「最も進歩した選手賞」(Most Improved Player of the Year, MIPという略称で呼ばれる)を受賞した。この年から男子国別対抗戦・デビスカップのスウェーデン代表選手となる。 1996年全豪オープンで初めて4大大会のベスト8に進出。アトランタ五輪にも出場した。同年のデビスカップでスウェーデン・チームは決勝まで進出し、エンクビストはシングルスで2勝を挙げたが、フランス・チームに2勝3敗で敗れた。 1999年の全豪オープンで、エンクビストは初めて4大大会の決勝戦に進出したが、その道程で地元オーストラリア選手を2試合連続で倒し、3回戦ではパトリック・ラフター、4回戦ではマーク・フィリプーシスを破った。決勝戦の相手は1996年の全仏オープン優勝者エフゲニー・カフェルニコフであったが、エンクビストは 6-4, 0-6, 3-6, 6-7 でカフェルニコフに敗れて準優勝に終わった。 エンクビストは怪我に悩まされるようになり2001年ウィンブルドン選手権でベスト8に進出したが、2002年2月のフランス・マルセイユの大会が最後のツアー優勝になった。2005年11月のルクセンブルク大会が最後のトーナメント出場になり2006年4月、32歳で現役引退を表明した。 エンクビストは2010年からデビスカップスウェーデンチームの監督を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トーマス・エンクビスト」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thomas Enqvist 」があります。 スポンサード リンク
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