|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
トマス・クランマー(Thomas Cranmer 1489年7月2日 - 1556年3月21日)は、カンタベリー大司教。イングランドの宗教改革の指導者であり殉教者。 == 生涯 == 大司教ウィリアム・ウォーアムが1532年に死去し、国王ヘンリー8世はその後継者を探し始めた。国王の右腕だったトマス・クロムウェルは当時ケンブリッジ大学の教授だったトマス・クランマーを就任させるべきだと進言し、その翌年クランマーはカンタベリー大司教に就任した。1548年に聖公会祈祷書を完成させた。キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を承認した。ちなみに、『ユートピア』の著者として知られるトマス・モアは国王の離婚を痛烈に批判し、この時期に処刑されている。 次のエドワード6世もイングランド国教会を全面的に推奨した。エドワード6世の治世が始まると、クランマーは更に積極的に宗教改革を推し進めた。 ところがメアリー1世が即位すると、女王はイングランドをカトリックの国家にするという意思を表明、国教会の人々は苦境に立たされた。メアリーはプロテスタントを迫害し、女性子供を含む約300人を処刑したため、ブラッディ・マリー(血まみれマリー)と呼ばれた〔ケアンズ『基督教全史』いのちのことば社〕〔スコット・アンダーソン『殉教』ホームスクーリング・ビジョン〕。プロテスタントの教役者達は片っ端から逮捕され、クランマーもその例外ではなかった。最後までローマ・カトリックへの復帰を拒否したクランマーに対し女王は処刑命令を出し、1556年3月21日に彼はオックスフォードで火炙りにされた。処刑されたプロテスタントの殉教者の中には、ヒュー・ラティマー、ニコラス・リドリーらがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トマス・クランマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|