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トーマス・セイ(Thomas Say、1787年6月27日 - 1834年10月10日)は、アメリカ合衆国の博物学者、動物学者、探検家。特に昆虫学に造詣が深く、アメリカ昆虫学会 (ESA) の設立に寄与した人物の一人としても知られる。 == 略歴 == 1787年6月27日、フィラデルフィアのクエーカーの家庭に生まれた〔Stroud 1992. p.9〕。同名の祖父トーマス (1709-1796) は薬屋、物理学者で、父ベンジャミン (1755-1813) は医師であった〔Stroud 1992. p.11〕。また曽祖父に植物学者のジョン・バートラム〔Stroud 1992. p.17〕、親戚に博物学者のウィリアム・バートラムがいる。 セイは薬剤師としての仕事の傍ら、博物学の研究を進めていた。1812年にはの設立に関わった。1816年には、ウィリアム・マクルーアの紹介で博物学者、探検家のと知りあい〔Stroud 1992. p.41〕、ルシュールは1824年まで同アカデミーに勤務することとなった。 1819年から1820年にかけて、セイはロッキー山脈〔Stroud 1992. p.108〕やミズーリ川の調査隊に動物学者として同行し、コヨーテやスイフトギツネ、ニシタイランチョウなど様々な種を新種として記載した。また1823年には、セイ主導でのミシシッピ川源流(ミネソタ川など)の長期調査を行った〔Stroud 1992. p.134〕。 1826年には、ロバート・オウエンがインディアナ州で実験的に立ち上げた、共産主義的な生活と労働の共同体に参加するため、ニューハーモニーに移住〔Wilson 1984. p.118.〕 。1827年にはニューハーモニーで知り合った Lucy Way Sistare と結婚したが、そのことは周囲の限られた人にしか知らせなかった〔Stroud 1992. p.191〕。セイはその地で昆虫や軟体動物の調査を行い、多数の新種を記載した。しかし収入は乏しく、家族は生活苦を強いられた。 1834年10月10日、腸チフスによって死去〔Stroud 1992. p.256〕。47歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トーマス・セイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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