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トーマス・ベルンハルト(Thomas Bernhard、1931年2月9日 - 1989年2月12日)は、オーストリアの小説家、劇作家。うねるような心理の細密な独白と厭世的な世界観を自作の大きな特徴とする。現代オーストリアを代表する作家の1人である。 == 生涯 == オランダ・マーストリヒト近郊ヘールレンの産院に非嫡出子として生まれる。両親はともにオーストリア人であり、母方の祖父はアナーキズムを信奉する無名作家ヨハンネス・フロイムビヒラー(1881年 - 1949年)であった。ベルンハルトは1歳の時にウィーンに住むこの祖父のもとに預けられ、ウィーン、ザルツブルクなどで祖父母とともに暮らした。敬愛するこの祖父からの教育は、作家・ベルンハルトの世界観の下地をなしている。 幼少期から音楽を好み、ギムナジウム時代もヴァイオリンや歌唱を学んだ。しかしナチス政権時代の学校も、戦後に入れられたカトリック系のギムナジウムも彼の気質に合わず、1947年に学校を中退し食料品店の見習い店員として働き始める。この店の店主ポドロハはかつて音楽家を志し挫折した人物であり、ベルンハルトは彼の薫陶を受けて店に勤める傍ら声楽の勉強に励み、まもなくザルツブルクの教会でソリストを務めるようになる。 しかしその後急性肋膜炎にかかり、奇跡的に生還するもその後療養のために過ごしたサナトリウムで結核に感染し、長い闘病生活を送った。退院後は一時新聞記者として働き、1955年にモーツァルテウムに入学、音楽と演劇を専攻した。1957年に卒業、卒業論文はブレヒトとアントナン・アルトーの比較研究であった。同年、詩集『地上で、そして地獄で』を出版、作家として活動を始める。 1960年、ケルンテン州の小劇場で演劇に関わって以降劇作の発表を始める。1963年、長編小説『霜』を発表、以降『アムラス』『当惑』などの小説を続けて刊行する。1967年オーストリア国家賞、1970年ゲオルク・ビュヒナー賞を受賞し、戦後ドイツ語圏を代表する作家の1人と目されるようになった。1975年以降、生い立ちから青年期までを描く自伝5部作(『理由』『地下室』『呼吸』『寒さ』『子供』)を発表。1986年には彼の文学の集大成を成す長編『消去』を発表した。 ベルンハルトは1965年以降オーストリア北部オールスドルフで生活し、1989年に同地で死去した。彼の使用していた家は現在記念館になっており、何百もある彼の靴が展示されている。遺言で彼は戯曲を新たに上演すること、および未発表の作品を出版することを禁じている。ベルンハルトの死は彼の火葬が済んだのちに公表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トーマス・ベルンハルト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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