翻訳と辞書
Words near each other
・ トーマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯)
・ トーマス・モーガン
・ トーマス・モーソン
・ トーマス・モーブレイ
・ トーマス・モーブレー
・ トーマス・モーラー
・ トーマス・モーリー
・ トーマス・ヤング
・ トーマス・ユーイング
・ トーマス・ユージ・ゴードン
トーマス・ヨハンソン
・ トーマス・ヨハン・ゼーベック
・ トーマス・ライカー
・ トーマス・ライター
・ トーマス・ライト
・ トーマス・ライト (ロックマンシリーズ)
・ トーマス・ラッキー
・ トーマス・ラッフルズ
・ トーマス・ラドキー
・ トーマス・ラベリ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

トーマス・ヨハンソン : ミニ英和和英辞書
トーマス・ヨハンソン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トーマス・ヨハンソン : ウィキペディア日本語版
トーマス・ヨハンソン[ちょうおん]

トーマス・ヨハンソンThomas Johansson, 1975年3月24日 - )は、スウェーデンリンシェーピング出身の元男子プロテニス選手。2002年全豪オープン男子シングルス優勝者である。2008年北京五輪男子ダブルスで、シーモン・アスペリンと組んだ銀メダル獲得もある。
シングルス自己最高ランキングは7位。身長180cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーで2002年全豪オープンを含む9勝、ダブルスで1勝を挙げた。
== 選手経歴 ==
1994年にプロ入り。1998年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのスウェーデン代表選手に選ばれ、現役引退まで代表を務めた。最初期のヨハンソンは全米オープンで好成績を出し、1998年2000年の2度ベスト8に入った。2002年全豪オープン決勝戦で、ヨハンソンは2000年全米オープン優勝者のマラト・サフィンロシア)を 3-6, 6-4, 6-4, 7-6 で破って初優勝する。スウェーデン人のテニス選手として、全豪オープンでは1988年マッツ・ビランデル以来14年ぶり、4大大会でも1992年全米オープンを制覇したステファン・エドベリ以来の優勝を成し遂げた。
その後、ヨハンソンは膝の手術で2003年のシーズンを棒に振ってしまう。2005年ウィンブルドンにおいて、ヨハンソンはダビド・ナルバンディアンアルゼンチン)を準々決勝で破り、30歳にして初めてベスト4進出を果たす。その準決勝では、第2シードのアンディ・ロディックに 7-6, 2-6, 6-7, 6-7 で敗れた。スウェーデン人選手のウィンブルドン男子シングルス4強入りも、1993年ステファン・エドベリ以来12年ぶりの快挙であった。
2008年北京五輪で、トーマス・ヨハンソンはシーモン・アスペリンと組んで男子ダブルスに出場し、この部門で銀メダルを獲得した。決勝戦ではスイス代表のロジャー・フェデラー&スタニスラス・ワウリンカ組に 3-6, 4-6, 7-6, 3-6 で敗れ、スウェーデンペアは銀メダルになった。
オリンピック銀メダルから1年後の2009年6月12日、ヨハンソンは「直ちに」15年間の現役生活から引退することを表明した。最後の年も、彼はデビスカップ・ワールドグループ1回戦の対イスラエル戦でシングルス2試合に出場した。3月末のマイアミ・マスターズ予選1回戦敗退が、彼の最後の試合出場になった。
スウェーデンのテニス界は、かつて世界の頂点に君臨した3強豪ビョルン・ボルグマッツ・ビランデルステファン・エドベリの伝統を誇るが、1996年エドベリが現役を引退した後は低迷を続けている。その中にあって、ヨハンソンは同年代のヨナス・ビョルクマントーマス・エンクビストらと並んで故国のために奮闘してきた選手の1人である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トーマス・ヨハンソン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.